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「漫画」登場以前の「漫画」①

2014-09-19

中国語の権威的辞書である『現代漢語詞典』(商務印書館)の「漫画」項を調べると、

   簡略化と誇張の手法を用いて生活や時事を描いた図画。
   諷刺や讃美の効果を得るために、デフォルメ、比喩表現、象徴を運用して、
   ユーモア、冗談の画面を構成する。

という語釈があります。 
 
この中国語における「漫画」という言葉は1904年3月27日付の上海《警鐘日報》紙上の「時事漫画」欄が初出とされ、その語彙の定着が確認できるのは鄭振鐸主編『文学週報』誌上で「中国漫画の開祖」と称された豊子愷(ほうしがい)の作品が好評を博した後に、彼の画集『子愷漫画』(1925年)が世に送り出されて以降のことです 。
 
一方、日本では1814年に発行された『北斎漫画』が契機となってその言葉は定着しており、その後、日本で流行した「漫画」に触れた留学生の中に豊子愷も含まれていたのです 。
 
しかし、これ以前にも漫画の持つユーモアや諷刺を含む絵は存在しており、中国で「漫画」という言葉が登場する以前は「諷刺画・寓意画・諷喩画・時画・滑稽画」などと呼ばれていました。
 
現在、中国における中国漫画史研究者の間では、名称こそ「漫画」とは附されていないものの、その源流にあたる早期の作品として「古代の壁画や立体塑像」を例示することも珍しくありません。また、それらが漫画の起源であると強調することで中国の漫画が「日本や西洋のそれよりも歴史は長い」という主張の根拠になりえています。
 
今回は中国で「漫画」という言葉が登場する以前、すでに存在していた「漫画の起源」として扱われる石の彫刻や塑像について3点紹介します。

【画像石の中の漫画】
 中国で最も早い時期に創作された漫画の例には「画像石」という石刻絵画の作品が挙げられます。
 画像石とは、中国の漢(紀元前206年~紀元220年)や魏(紀元220年~紀元265年)の時代に隆盛した祠堂や墓石などの壁面・表層面彫刻であり、その表現は単なる装飾的要素だけでなく、宗教的、儀礼的な意味合いも深いと言われます。
 
これらの画像石には宗教的意図のほか、描写の中に当時の社会制度や風俗習慣などが反映され、中国古代の生活はもちろん、当時における芸術表現活動を知る上でも非常に史的価値の高いものとなっています。
 
「石刻」は「絵画」的な創作を実践する上で、技巧的に不利な反面、かえって過度な装飾表現を抑え、絵の意味伝達表現に収斂されていく傾向も見られます。これが漫画表現における簡略化や具像の抽象化に通じていると言えるのかもしれません。
 
以下に中国の先行研究で取り上げられる具体例を見たいと思います。

・山東武梁祠堂石刻画像「夏桀(かけつ)」(図1)
 中国最古の王朝・夏の最後の皇帝である桀は暴君として悪名高く、民衆を力で押さえ込み、恐れられていました。また、淫蕩な側面もよく知られており、山東の有施氏から献上された絶世の美女・末喜(ばっき)に溺れ、国政を省みなくなり、国力が次第に落ちていくと同時に、最後には殷の湯王に夏を滅ぼされ、桀は末喜ともども捕えられました。

 中国漫画史1-1

この図版は石刻の拓本ですが、「夏桀が人間を騎乗用の家畜と見なす(夏桀把人当作坐騎)」と題されて中国の歴史教科書に採用されたこともあり、彼の人物像を広く知らしめる図版資料となっています。
 
王冠をかぶり、厳つい顔をした夏桀を中央に配し、その下には2人の女性が人間扱いされず、単なる座具として踏みのぼられています。夏桀の傲慢な態度と下敷きにされるか弱き女性が対照的に描かれることで、統治者の暴君ぶりがより際立って表現されています。
 
これらは石素材使用に伴う装飾抑制がもたらす簡略的・抽象的絵画表現に加え、漫画表現の大きな要素である「諷刺精神」も体現しており、「漫画の起源」と主張するにふさわしい作品と言えます。

【彫刻・塑像の中の漫画】
 上述の画像石のほか、中国漫画史の源流を遡ると、より立体的な彫刻や塑像をも「起源」に含む見方が現在の中国側の研究で定着しています。

・「馬踏匈奴」(図2)
 これは陝西省咸陽市にある茂陵(漢・武帝の陵墓)の霍去病(かくきょへい)墓における代表的な石刻像であり、紀元前に創作されたものと言われています。
 
霍去病は漢・武帝に仕えた武将であり、遊牧騎馬民族・匈奴の征伐を数度に渡って成功し、功績を挙げた英雄的人物です。
 
この作品に霍去病自身は描かれていませんが、石刻の馬が匈奴を地面に踏み倒し、制圧する勇姿を通して、この馬が生前において馬上で匈奴をなぎ倒していった霍去病(あるいは漢王朝)の象徴であろうと容易に想像できます。
 
敵である匈奴は馬の前脚で踏みつけられるも、なおも仰向けになって目を見開き、馬の腹めがけて武具を手に執り、両足を蹴り上げて最後まで抵抗し続ける様子が表現されています。他方、それを制する馬は決して動ぜず泰然自若としており、その対比が印象に残りますが、この「英雄讃美」や「侵略者に対する諷刺」を一枚に複合的に含ませる表現が漫画的であると評価されています。

中国漫画史1-2

・「撃鼓説唱俑」(図3)
 これは四川省成都市の天回山3号墓から出土したもので、後漢(紀元25年~紀元220年)時代における芸人の塑像です。非常に表情豊かで、体の動きを見ても全体的に力がみなぎり、左手の鼓をしっかりと脇に固め、右手に携えるバチで今にも勢いよく鼓を打ち鳴らそうとしています。また、芸人自身の語りや歌声だけの表現では物足りず、手足を大きく動かす演技者のハイテンションぶりが生き生きと描写されており、漫画的なデフォルメを大いに含んだ作品になっています。 

 中国漫画史1-3

以上、いずれも中国漫画史研究の関連著作から、特に古代において「漫画の起源」として例示された彫塑作品を中心に取り上げてみました。
 
これらの石刻や立体塑像が絵画形式であるその後の漫画スタイルにどう影響したのかという検証はなかなか難しいのですが、中国現地では常にその歴史や関連性、正統性を肯定的に捉えるものが主流となっています。
 
次回も「漫画」という言葉が登場する以前の「漫画」の続きを追っていきましょう。

〈図版資料〉
図1 夏桀(甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年、p15)
図2 馬踏匈奴(甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年、p14)
図3 撃鼓説唱俑
    (西丁主編『美術辞林・漫画芸術巻』陝西人民美術出版社、2000年、p316)

 
〈参考文献〉
陶冶『中国の風刺漫画』白帝社、2007年
畢克官・黄遠林『中国漫画史』文化藝術出版社、2006年版
甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年
西丁主編『美術辞林・漫画芸術巻』陝西人民美術出版社、2000年
天野雅郎「漫画のフィロロジー」『和歌山大学教育学部紀要(人文科学)』第58巻、2008年、pp130~102
佐藤直樹「中国漢代画像石の研究. −図像解析によるヴィジュアルコミュニケーション技術の解明−」www.sangetsu.co.jp/hibizaidan/pdf/re16_sato.pdf

* 中国でも「漫画」という言葉自体は「ヘラサギ(鳥名)」の仲間の意味としてすでに北宋・晁説之『嵩山文集』(成立年不明)や南宋・洪邁『容斎随筆』(1180年~1202年)に登場しており、その鳥が小魚を食べても尽きることのない貪欲さがあることを記しています。その中国の書物に触れたと思われる日本人も存在し、江戸の儒者・鈴木煥卿は1771年に『漫画随筆』を刊行し、ヘラサギのごとき飽くなき姿勢で書に向かうことを題名に含ませました。ここにおいて日本人が文学の中に「漫画」という言葉を用いて、その流れから美術作品の一種へと昇華させていったと考えることも可能です。

* 豊子愷(1898~1975)は1921年日本に留学し、そこで日本の漫画や文学・絵画・音楽などに触れました。

著者プロフィール
南雲 大悟
1974年生。千葉大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。
2000年~2001年、北京留学。専門は中国メディア文化研究及び中国語教育

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