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「漫画」登場以前の「漫画」②清代まで

2014-12-26

 前回は中国古代における石刻や塑像を取り上げ、その作品のテーマや造形にみる諷刺やユーモアの表現から、それらが現在の先行研究において「中国漫画のスタートライン」と位置付けられていることを確認しました。
 中国には古代からこのように諷刺を含ませる文学や芸術が存在しており、特に文学の方面では後世まで伝わる作品が多く残っています。例えば、漢詩で著名な杜甫や白居易などは戦時における庶民の苦難、政治や社会を諷刺する内容を創作しています(注ⅰ)。
 これらジャンルや表現方法の違いはありますが、当時の中国には漫画が生まれる「素地」が充分に存在していたと言えるでしょう。
 石刻・塑像の時代から移り、いよいよ「紙」に描かれる絵画作品が現れると、そこにまた漫画的表現を含む、名実ともに「漫“画”」の源流と評するにふさわしい作品が登場します。
 
【早期の肖像漫画】(図1)貫休(832年-912年)「十六羅漢図・阿氏多」
 貫休は唐代末から五代十国初期にかけて「羅漢図」を描いたことで有名な高僧です。彼は詩作にも長け『禅月集』という詩集も出しています。
 彼が描いた多くの羅漢図の中で最も有名なのが『十六羅漢図』です。作品における羅漢の顔は中国絵画史上で最もデフォルメが効いた人物表象と称されており、濃い眉・大きい目・高い鼻・しもぶくれの顔など彼独特の表現が「漫画的」であると評価されています。
 生まれながらに白く長い眉毛を蓄えて「長眉羅漢」と呼ばれた阿氏多の絵は眉を胸の位置まで伸ばし、耳たぶを長く垂れて描くなどのデフォルメがなされています。これは中国で「一番古い肖像漫画」とも見なされ、特に「長い眉」の描写は唐代の詩人・李白が五言絶句「秋浦歌」で表現した「白髪三千丈(注ⅱ)」と同じような漫画的な誇張に近いものです。
 貫休の「羅漢」描写はその後の羅漢図の創作に影響を与え、後世の多くにその手法が受け継がれています。

中国語漫画略史2-1


【皇帝の描いた漫画】(図2)成化帝(朱見深:1447年-1487年)「一団和気図」(1465年)
 この絵は明朝第9代皇帝・成化帝(朱見深)による皇帝自らが描いた珍しい作品で、現在は北京の故宮博物院に収蔵されています。
 一見、布袋のような豊満な人物がほほ笑むさまが描かれているように見えます。ところが、実はこの絵は3人の人物から形成されており、肩を寄せ合い抱き合う儒家と道家と仏教徒という「中国三大宗教」信者同士の和合を表現しています。
 この作品のモチーフは「虎渓三笑」という有名な故事を典拠としています。中国東晋時代の高僧・慧遠(334年-416年)は人を見送る時も「虎渓」という川までで歩みを止め、そこを「俗界との境界」と考え、この川を渡らぬという戒律を守っていました。しかし、儒家の詩人・陶淵明(365年-427年)、道教の経典を体系化したことで名高い道家・陸修静(406年-477年)が訪問した際に話が興に乗り、この戒律を破ってしまいます。彼らは熱く語りながら盛り上がっていると、慧遠は思わず「虎渓」を渡ってしまい、その後、虎の吠える声を聞くに至り、ようやく戒律を破ったことに気付いて、彼らは大笑いしたといいます。
 この3人が同時代で語り合ったという史実はないのですが、3人で谷川の近くを歩む絵の構成は中国の画題としてよく使われています。厳格な僧侶が知己との交流に思わず時間や戒律を忘れるという人間味溢れる一コマが描かれていると同時に、「仏教・儒教・道教」という中国三大宗教の融和を表現しています。
 「一団和気図」はそれらを象徴する3人を実際に視覚的に重ねてみるという漫画的手法を用いて、3人の「顔・体」をまとめて1人となし、まさしく三者の「融合」を描いたのでした。
 向かって左側に位置する“マゲ”のように髪をまとめているのが「道家」、右側の方形頭巾を被るのが「儒家」を表し、中央に確認できる剃髪姿の「笑顔」の人物は仏教徒で、道家・儒家の肩に手を伸ばし、数珠を握っています。
 「一団和気図」はこの着想や表現から古典漫画の代表作とされています。

中国語漫画略史2-2


【不正を“暗に”諷刺する】
 古代中国の石刻や塑像の例示では、民を抑圧する権力者や敵を踏み倒す勇者などを力強く直接的に表現する作品だけに触れましたが、時代が移ると、隠喩的な諷刺表現を含む近代漫画に通じる作品も次第に確認され、文化的な洗練や醸成を感じられるようになります。また、それらの作品を成立させうる都市文化の繁栄や出版技術の向上はもちろん、その描写対象となってしまう政治腐敗や政情の不安なども恒常的な創作テーマとして存在し続けたのでした。

①(図3)李士達(1550年-1620年)「三駝図」(1617年)
 まずタイトル中の「駝」は「背中の曲がった」という意味を表します。これは本作における諷刺のポイントである「駝」たるさまを端的に描こうという意図がまずここに表れます。
 画面には張さん、李さん、趙さんのいずれも猫背の3老人が配されています。彼らはそれぞれ出掛ける途中に偶然にも、自分と同じように背の曲がった人物に出くわし、「なぜだろう?」と考えます。ところが、その中の1人が手を叩いて大笑いし、「この世に真っ直ぐな人は誰もいない」と一笑に付してしまいます(注ⅲ)。
 作品は登場人物の「駝」な姿形から、我々にその内面に潜む「真っ直ぐではない」点をも連想させ、この時代における人々の性質・心情の「駝」を痛烈に諷刺しています。

中国語漫画史2-3


②(図4)八大山人(1626年-1705年)「孔雀図(注ⅳ)」(1690年)
 作者の八大山人は清代初期を代表する「遺民画家」です。遺民画家とは現王朝に背き、滅んだ前王朝への忠節を誓う画家のことを指します。彼の創作には諷刺の態度が読み取れる作品が多く存在しており、当時の王朝である清に対して、その画筆によって抵抗する姿勢の一端がうかがえます。
 「孔雀図」(1690年)は大きさのまばらな岩にたたずむ、尻尾には3本の羽根しか生えていない醜い孔雀が描かれています。中国で孔雀と言えば本来、富裕や繁栄の象徴のように考えられますが、ここでは敢えてみじめな存在として添えられます。この「3本の羽根」には理由があり、①清朝の高級官僚がその冠に階級の象徴として孔雀の羽根を3本挿していた点、②主人に仕える下僕になると「さらに耳が一つ生えて、主人の顔色を伺う」という故事からの典拠が諷刺の要素として反映されているのです。

中国語漫画史2-4


 今回も漫画的な要素が抽出できる代表的な作品をいくつか例示し、早期における中国漫画の来歴を追い、隠喩的な諷刺や故事の引用など具体的特徴につき紹介しました。
 次回は様々なニュースを絵入りで紹介した清末の新聞『点石斎画報』について取り上げます。

〈図版資料〉
図1 貫休「十六羅漢図・阿氏多」(甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年、p16)
図2 成化帝(朱見深)「一団和気図」(畢克官・黄遠林『中国漫画史』文化藝術出版社、2006年版、p4)
図3 李士達「三駝図」(畢克官・黄遠林『中国漫画史』文化藝術出版社、2006年版、p5)
図4 八大山人「孔雀図」(甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年、p29)

 
〈参考文献〉
陶冶『中国の風刺漫画』白帝社、2007年
畢克官・黄遠林『中国漫画史』文化藝術出版社、2006年版
甘険峰『中国漫画史』山東画報出版社、2008年
西丁主編『美術辞林・漫画芸術巻』陝西人民美術出版社、2000年


ⅰ 杜甫の「兵車行」や連作「三吏三別」は戦時の悲哀を描き、白居易「長恨歌」は玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスを描いた作品として有名ですが、同時に女性に翻弄される皇帝の姿が諷刺されているといえます。

ⅱ「白髪三千丈」は「憂いによって白髪が三千丈(約9キロ)にも伸びた」という誇張表現。しかし、ここでの「白髪」は「長江の景色」を指しています。

ⅲ この3人が集っての会話内容は図の上部に書かれた詩文によります。

ⅳ 日本では「牡丹孔雀図」というタイトルで広まっています。


著者プロフィール
南雲 大悟
1974年生。千葉大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。
2000年~2001年、北京留学。専門は中国メディア文化研究及び中国語教育

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