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【トン語】第2回~トン族の歴史と社会~

2016-09-27

トン族の歴史

独自の文字を持たず、民族の伝承が全て口伝であったトン族の詳しい歴史は、客観的な史料によってはっきりと解明されているわけではありません。おおよそ歴史研究者の共通した見解として、トン族の祖先は古代中国大陸の南方からベトナムまでの広範な地域に住んでいた百越(百粤とも)と呼ばれた諸族の一派であったろうとされています。春秋時代の終わりから戦国時代にかけて、越人のおもな一支系が、現在の浙江省のあたりに越の国をつくります。漢代のはじめごろになると、越人はいくつかの大きな支系にまとまっていきます。そのうちの駱越(らくえつ)支系や干越(かんえつ)支系が、現在のトン族の起源ではないかとされていますが、確立した説ではありません。清の乾隆帝の時代の『柳州府志』には、「狪人(トンジン)」とあり、漢民族によるトン族の呼称とされています。また、清代にはトン族は「洞苗(トンミャオ)」ともよばれており、「苗(ミャオ)」と一緒に考えられていたことがわかります。単一の民族として認識され、トン族と呼ばれるようになったのは、1949年以降のことです。

 

トン族の社会

民族の歴史的な社会形態を考える観点はいくつかありますが、トン族においては南部と北部のトン族に共通して見られる女神信仰から、かつて原始的な母系社会が存在していたことが類推されます。この女神は南部トン族では「サースイ(sax siik、中国語表記は萨岁)」「サーマー(sax mags、萨吗)」などと呼ばれ、サー(sax)は祖母、聖母といった意味で、トン族の最高神であるとされています。北部トン族にも名称は異なりますが似たような民族の祖母神・女神崇拝が見られます。サーについて語る神話は地域によってバリエーションがみられますが、かつて当時の支配者からトン人たちを守るために戦った民族の英雄であり、死後もトン族を守る至高の存在であるとされています。こうしたサーの神話はまた、トン族がその歴史の中で長い間幾度も、時の朝廷軍・官軍に抵抗して戦ってきたという民族の歴史のあらわれでもあるでしょう。

 

トン族の創世神話は(これも登場人物名や話の展開にバリエーションがありますが)、「史詩」によると、「サービン(sax bienv、萨并)」という女神の卵から生まれた松桑(ソンサン)と松恩(ソンエン)から、蛇や龍、虎といった獣面をもつ10人と姜良、姜美という男女、合わせて12人の兄弟姉妹が生まれ、のちにこの姜良、姜美の二人が、洪水によって人々が滅びたあとに、人類の始祖となり、漢・ミャオ・トン・スイといった各民族にわかれていったというもので、ここでも民族のはじまりは女神です。また、漢民族は「雷」を「雷公」といいますが、トン族では「雷婆(sax bias)」といいます。こうしたところにも母系社会や母権制の名残がみられます。

 

のちに原始的な社会を脱して、生産活動が盛んになるにつれ、母系の社会は徐々に男系氏族社会に変わっていったとされます。現在も南部トン族の地区では、村ごとに「堂萨(dangc sax、サーを祭る堂)」と「鼓楼(beengc)」という、ふたつの公共建築物があるのが一般的です。この鼓楼はトン族特有の建築物として、建築方面の専門家にも注目される、民族的な特徴のある建物で、ひとつの村に必ずひとつあり、大きい村では氏族ごとに複数あります。堂萨がサーという母系社会の象徴である女神を祀る建物であるのに対して、鼓楼は村や氏族の中心となる建物であり、村や氏族の祭りや行事、会議、接待といった活動の場であり、村の寨老(長老)たちが主に使用する場所です。トン族の村に鼓楼が作られ始めた時期は、史料にないためはっきりしませんが、その用法と初期の名称から、父系氏族社会になって生み出されたと考えられています。

 

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述洞の独柱鼓楼・貴州省黎平県岩洞鎮述洞村(きしゅうしょう・れいへいけん・がんどうちん・じゅつどうむら)

 

トン族の村では、現在でも寨老が村や氏族の代表として、重要な決めごとをしたり、祭りをとりおこなったりしています。トン族には、古くから「款(kuant)」という村同士の連盟と取り決めが存在し、村は大小の款組織によって秩序が保たれていました。2010年8月に、貴州省黎平県の述洞村で、黎平の十洞地区の13の村の者たちが集まり、「十洞款会(シートンクゥァンフイ)」という「款」の祭りが盛大にとりおこなわれました。集まった13の村のうち12の村はトン族の村で、ひとつは苗族の村でした。この祭りは、かつてこれらの村々が、毎年一度集まって、村同士のとりきめ(款)を確認し、約束しあうためにとりおこなわれてきたものでした。この祭りが行われなくなって、じつに253年が経っていたのですが、2009年に十洞地区の岩洞鎮竹坪村の川から偶然発見された石碑に刻まれていた1757年(清朝乾隆22年)当時の款会の記録をたよりに、現代に款会が復活しました。珍しい祭りの復活を、筆者も見学してきました。各村の人々が民族衣装で盛装して集い、前夜から各所で歌の掛け合いや宴会がおこなわれ、款会の当日には神に牛を捧げ祭祀をおこない、村の代表者(長老)たちが鼓楼で「款」の誓約を交わしました。このとき、鼓楼に入れるのは各村を代表する男性の寨老のみです。このような公的な行事や祭祀は、すべて村の寨老といわれる老年男性たちによって行われています。

 

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客人を村に入れる際の攔路歌を歌うトン族の女性たち・貴州省黎平県岩洞鎮述洞村

 

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款会前夜の歌会・貴州省黎平県岩洞鎮述洞村

 

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2010年の十洞款会に集まる人々・貴州省黎平県岩洞鎮述洞村

 

國學院大學文学部 兼任講師 渡邊明子

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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