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【彝語】第4回~彝語と彝族の現在と未来~

2016-07-25

彝語の現在と未来

彝族の言語である彝語の言語人口は未だ数百万単位の規模を誇っています。そのため彝語はまだ「危機言語」からは比較的遠いところに位置しているかと思います。しかし、各地の状況を細かく見ていくと、あまり安心できるような状況ではないかもしれません。貴州省や雲南省の彝族の間では彝語を母語としていたとしても、義務教育における漢語の普及や漢語メディアの発達により、母語の言語空間が狭まっていることは確かです。これは彝語が広く話されている四川省涼山地方でも同じような状況が見られます。彝族の言語である彝語による教育が小学校から大学まで行われていますが、それはあくまで補助的な教育にとどまってしまう傾向があります。そして漢語教育がより広く進められる傾向があります。数年前、涼山彝族自治州の民族中学で聞いた話では、彝語の授業が減り、漢語による授業が増えているとのことでした。これは政府側が強制的に漢語教育を進めているわけではなく、彝族側からの要望で進められているのです。なぜなら小学校から大学まで全ての教育を彝語で学んだとしても、漢語が理解できなければ、現代中国社会のなかでは経済的な発展、社会的な上昇は残念ながら望めないからなのです。漢語をちゃんと学んでいれば、大学進学も容易になり、中国各地で就職もできるようになるのです。もし北京の中央民族大学、成都の西南民族大学で彝語を専門として学んだとしても、その就職先は大学などの研究機関などに限定されてしまいます。そのため多くの彝族の子弟は漢語で学べる高校や大学を目指すのです。

 

現在の彝語の語彙のなかには大量の漢語の語彙が流入してきています。特に近代的かつ抽象的な概念は漢語の語彙がそのまま使われる傾向が広く見られます。彝語は日常の生活上の会話のなかでのみで使われるようになってきているのです。さらに現在、彝族の居住地域でないところに住む彝族も増加しています。特に中国の大都市である北京、上海、成都などに出てきている彝族は周辺に彝語の言語環境がないため、彼らの子弟で彝語が全く話せない者も少なくありません。このような言語環境の変化は彝語のみならず、中国の多くの少数民族言語で見られる状況であろうかと思います。

 

彝文字の現在と未来

四川省涼山地方では整理された「規範彝文」が使われています。しかし残念ながら漢字のように広く通用している状況にはありません。さまざまな行政資料を彝文へ翻訳したものや定期刊行物の彝文版の出版などが見られますが、十分に普及していないのが現状です。涼山地方の中心都市である西昌では、商店の看板に彝文字をつけることが義務づけられていますが、あくまで漢字の看板におまけとしてついているような状況です。

 

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彝文字と漢字の看板(2009年、四川省西昌市にて)

 

彝文字は四川、雲南、貴州など各地域でその字体が異なることが多いのですが、これをすべての彝族地域において統一しようと考えている人は少なくありません。しかし統一彝文字の可能性は極めて低いような状況です。方言間の差異も大きく、標準語を定め、統一彝語さえ決めることが難しい状況では、統一彝文字を制定することはさらに厳しいと言えるでしょう。ただ彝文字は他の文字系統とはつながらない独自の文字であり、文字の存在は彝族のアイデンティティに関わります。そのため彝文字をデジタル情報で使える文字、すなわちコンピュータで扱える文字にしようとする動きは各地であるようです。文字が統一化され標準化された四川省の「規範彝文」は、いち早くこうしたデジタル化に対応しました。ウィンドウズでもマックでもしっかりそのフォントは標準装備されています。またウィンドウズ8からは彝文IMEも標準搭載され、世界中のコンピュータで彝文による入力が可能となりました。

 

こうしたデジタル化の方向とは逆に伝統的な彝文字で書かれた文献については、近年保護、保存の政策が進められています。現在の中国では文化方面への予算が拡充され、少数民族の文化保護を目的とした政策も多くなりました。彝文字文献もこのような経済的なバックアップのもと各地で保存だけでなく、新たに集められた文献の記録、出版が盛んになりました。例えばそれは「彝文典籍集成」といったシリーズとなり、刊行されています。

 

彝語と彝族のメディア

彝語や彝族に関するウェブサイトはいくつかあります。代表的なものでは「彝族人網」、「中国彝族網」、「彝学網」、「彝人論壇」、「彝語在線」などがあります。「彝族人網」は彝族や彝語に関する総合的な情報を提供しています。「中国彝族網」も同様に彝族についての総合的なウェブサイトです。「彝学網」は彝族の文化、社会、歴史などについて、学術的な情報を得ることができます。「彝人論壇」は彝族に関するBBSです。「彝語在線」は彝語や彝文字を紹介するウェブサイトです。このサイトのなかには彝語の発音、単語、会話を紹介するページがあります。また「彝漢相互詞典」というページもあり、彝語を漢語に翻訳することができます。ただその精度はまだ発展途上のようで、うまく翻訳できないものもあります。これらのウェブサイトは残念ながらほぼ全て漢字(中国語)で書かれています。彝文によるウェブサイトは「彝族人網」に彝文によるページが一部あるだけです。このほかに人民日報のウェブサイト「人民網」にも彝文ページがあります。

彝語によるテレビ放送は四川省涼山地方の涼山広播電視台(涼山テレビ局)が一部で行なっています。これは2009年から「試播(試験放送)」の形式により放送されています。放送内容は涼山彝族自治州のニュース、彝族文化紹介、彝族研究紹介、彝族音楽紹介、彝語翻訳ドラマ、彝語翻訳映画、彝語翻訳アニメなどです。日本映画なども彝語に翻訳されて放送されることもあります。この彝語放送の番組は涼山広播電視台のウェブサイドでも観ることができます。

 

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涼山広播電視台彝語試験放送のテレビ画面(2009年、四川省西昌市にて)

 

彝族ポップカルチャー

彝族のポップミュージックの始まりは1993年でした。この年に彝族の三人組バンドである「山鷹組合」が活動を開始しました。彼らは初めて彝語でロックやバラードの曲を歌いました。それらの曲の多くは涼山地方の彝族の暮らしなどを題材にしたもので、当時の涼山地方の彝族の若者の間で大変流行し、どこに行っても彼らの曲が流れていました。その後、彼らのあとを追って多くの彝族の若者がバンドを結成したり、ソロで歌手活動したりして、その数は数え切れないほどになりました。今でも涼山地方のCD店では多くの彝族歌手のCD、VCD(ビデオCD)、DVDが棚に並び、店頭には彼らのポスターが重なって張られています。

 

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CD店の店頭に貼ってある彝族ポップス歌手ポスター(2000年、四川省昭覚県にて)

 

涼山地方では彝族ポップス以外に彝族漫才もあります。専門の漫才師ではないようですが、男性2人が彝語で掛け合いの漫才やコントをします。彼らは涼山地方の彝族の間ではかなり人気があるようです。こうした漫才やコントは2000年代中頃あたりから見られるようになりました。漫才もコントも涼山地方の彝語で話すため、雲南や貴州の地域の彝族の人々は聞いていてもまったく分からず、その人気が彝族全体へ広がることはないようです。

 

彝族を題材とした映画として有名なのが1986年製作の『天菩薩』です。これは香港の厳浩(イム・ホー)が監督した映画であり、全編涼山地方で撮影されました。日中戦争後、彝族に捕らえられたアメリカ軍人が奴隷となって10年間彝族地域で暮らすという話です。この映画の言語は残念ながら漢語版しかなく、彝語版はありません。また中国国内では香港以外では公開されていない作品です。『天菩薩』から30年を経て、2006年に涼山地方で『奴隷』という映画(ドラマ)が作られました。これは1950年代以前の涼山地方の彝族奴隷の悲惨な生活を描いたものです。ここでは全編で彝語が使われており、非常に画期的な作品となっています。ただし役者の演技などはまだまだこれからといった状況です。この他に涼山地方で作られた映画としては2009年製作の『涼山英雄』などがあります。この映画は不良少年が西昌の武術学校に入り、その後この学校の校長がマフィアと戦うというストーリーです。映画のなかでは彝語と四川方言の漢語による会話が入り混じり、涼山地方独特な雰囲気をかもし出しています。このようないわば彝族映画(ドラマ)の製作がだんだんと増えて来ているようです。技術的にもストーリー的にもまだまだ始まったばかりの感がある彝族映画(ドラマ)ですが、今後の進化は大いに期待されます。

 

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彝族映画(ドラマ)VCDパッケージ

 

彝族社会の現在と未来

彝族が居住する雲南省、四川省、貴州省などの地域は山岳地帯であり、地域によっては農作物の収穫量が低いところも少なくありません。そのためこのような地域では、現金収入が少ない貧しい暮らしをしている人々も大勢います。四川省涼山地方も貧しい地域が多く、涼山州のいくつかの県は中国政府から「貧困県」に指定され、「扶貧工作(貧困扶助プロジェクト)」の対象となっています。以前、美姑県の幹部は「わが県はとても貧しい県ですが、ピモ(彝族祭司)だけは豊かです」と自嘲的に語っていたのを覚えています。こうした貧困はただ貧しいだけなく、さまざまな方面へ影響を及ぼしています。貧しいために子供も農作業を手伝い、学校へ行かないような教育問題もありました。これは近年かなり改善され、義務教育の就学率は上がってきました。貧しい地域のため、現金収入を得る手段がなく、昼間から飲酒や薬物に手を染める若者も多いようです。特に麻薬の問題は深刻で、彝族地域のみならず、雲南、四川、貴州など中国西南地方で大きな問題となっており、現在その撲滅運動が広範囲で進められています。

 

2000年から進められた「西部大開発」により、彝族地域のインフラも整備されました。またここ数年の経済発展により、西昌などの中心都市の発展は目を見張るものがあります。都市の発展は都市部と農村部の格差を広げており、彝族地域でもこの格差は大きな問題となっています。

 

彝族と現代日本の関わり

彝族は日本ではほとんど知られていない人々です。それでもこの彝族地域を訪れる日本人は1980年代から見られました。その多くは昆明からほど近い石林というカルスト地形の観光地を訪れたものでした。この石林には「サニ人」と呼ばれる彝族のサブエスニックグループが住んでいます。彼らは石林とともに早くから日本に知られ、ガイドブックなどでも紹介されました。

 

彝族が多く住んでいる涼山地方は、海外からわざわざ訪れるような観光地もないため、この地域を訪れる日本人はほとんどいませんでした。こうした涼山地方において2000年よりJICA(国際協力機構)が中国政府林業部門と協力して国際林業技術協力プロジェクトをスタートさせました。この林業技術協力には長期的に13名、短期的には29名の日本人専門家が涼山地方に赴き、技術協力の仕事を進めました。プロジェクトの目標は涼山地方の中心地帯を南北に流れる安寧河流域で地域住民が自立的に造林活動をできる基盤を作るというものでした。苗木の育成から始まり、700ヘクタールの厳しい土地でモデル造林を行ない、植栽後1年で75%、3年で70%の苗木生存率の目標を達成しました。あわせて林業に関わる人材の訓練や住民などへ普及活動も行いました。このプロジェクトと同時に10数名の青年海外協力隊が涼山地方で活動をしました。音楽教育、日本語教育、衛生活動などの方面で現地へ大きな貢献を果たしました。7年にわたるプロジェクトはすでに終了しているのですが、プロジェクトに関わった人々はNGO「涼山会」を結成し、小学校などへの支援活動は今も続けています。また日本語教育で育った人材が西昌で日本語教育を進めるなど、その芽は大きく育っています。そして日本と涼山地方、彝族との縁は途切れることなく続いているのです。

 

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JICAが涼山州において行った7年間の協力事業をまとめたパンフレット、『安寧のため 中日林業専門家合作の七年』

 

日本大学 清水 享

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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