この本は在日韓国人である筆者による、体験的「日韓比較文化論」である。
筆者は私たちがイメージする日本で生活してきた「在日韓国人」像とはちょっと違っている。
60年代後半にソウル大学に留学卒業し、その後韓国人として兵役の義務を果たす。筆者にとっては母国語とはいいがたい韓国語での生活に苦労は絶えない。時には公安にあらぬ疑いをかけられながらも必死に「韓国人になろう」と志す。
ある意味「激しく韓国を志向した」といえるかもしれない。そんな「特異」な在日韓国人である筆者の視線を通した韓国文化論なのである。
日頃の筆者の飄々とした佇まいから、これほどまでに「韓国人たらん」と身もだえした時代があったことを本書で知って、その切ない思いに胸が熱くなった。
在日の方々は大きな行事があると、まめまめしく海を渡り祖国でのセレモニーに参加する。日本全土から数百人もが集うのだ。祖国の発展を祝賀し、発展に寄与するために寄付も労苦も惜しまない。私もそのような場面に何度か参加させていただいたが、祖国韓国側の対応は彼らの思いに比してなんとも「冷淡」と感じずにはいられなかった。
それでもなお祖国に尽くそうとする姿にいささかの違和感を感じて「何故そうまでするのか」と尋ねたことがある。
すると筆者は「祖国に対する強烈な渇望なんだよ」とキッパリと言い切った。
その言葉を感慨深く受け止めた。
十数年前、実は私もこのような日韓比較文化論を書いたことがある。『隣の韓国人~傾向と対策』と銘打った。サブタイトルにあるように「隣人の傾向を理解して、無用なトラブルを回避し、あらかじめ対策を講じよう」という思いを込めた。どんな業体も経験から得た失敗と教訓を「自分たちの経験」として学習し堆積させる。しかしなかなか他者には伝播しない。そして同じような初歩的トラブルを相変わらずあちらでもこちらでも延々と繰りかえしている。
文化的にも経済面でも日韓交流が深まるほど、このような民族の意識差異によっておこるトラブルは増え続ける。そのような問題点を「解説することで解決」できないかと試みた。
この本もまたそのような筆者の思いが込められている。
軽いタッチで日常のいろいろなエピソードが数珠つなぎになっている本書。日本人から見たら「へえ~」と思うようなことの裏側にある、行動や思考の違いを面白く書き綴りながら、日本人と韓国人との民族性の違いを紐解いてゆく。
この本を読みながら、気づいたことがある。
それは私の場合は無意識に「日本人の側に立って、日本人に解説しようとしていた」がこの本の筆者はやはり「韓国人の立場」から日韓の差異を解説していることだ。
「嫌韓本」と呼ばれる本を含めて、韓国を解説する本は近年とみに多いが、意外にも韓国人の立場からその文化差異を紐解く本は多くはない。
しかも韓国に於いて、時には学生であり、兵士であり、企業人であったという多様な経験と、日本に生活の基盤を持つ今、民間人はもとより日韓の政財界人、官僚、文化人などなど、幅広い交流と、それによる深い体験と知見を持った筆者のような存在はほかに類を見ない。
そのような意味で本書は異色な本である。筆者が今後日韓の狭間で「得難い人材」として大いに活躍してくれるであろうことを期待している。
この本は筆者の処女作であり、まずは一般向けに日常的なやさしいエピソードを連ねた感がある。
しかしディープに韓国と関わったことのある読者からすると、たとえば「『歴史認識』にこれほどまでに違いが生じた背景になにがあるのか」、「昼は反日、夜は親日」と言われるように「日本人に対して複雑な対応を見せる背景にどんな感情があるのか」といった硬派な問題に対する意見も聞いてみたい。
次作もまた楽しみである。
黒田 福美