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旅と言葉と 第5回

2018-07-30

マナグアでの日々を、僕はあまり日記につけることができなかった。それまでほぼ毎日つけていた日記帳がある。見返すと、ニカラグアに入ってからは走り書き程度のメモと、しばらくたってから、その日々を振り返った文章が残っているだけだった。

 

マナグアはとにかく暑かった。1日の終わりに宿に戻ると、バタリとベッドに身を投げた。体の重さは、暑さだけが理由ではなかった。何か書こうとペンをとるも、日々起きる出来事を頭で処理することができず、言葉にすることができずにいた。

 

グアテマラにいた僕は、日本人フォトジャーナリストで、中米を取材する宇田有三さんと出会った。宇田さんのグアテマラでの取材に同行させてもらったことをきっかけに、次の取材地であるニカラグアへの同行を申し出た。宇田さんの答えは「先にマナグア(ニカラグアの首都)に行ってるから、現地で探してね」というもの。僕は1日遅れで宇田さんの後を追い、中米を横断するTICA社による国際バス「TICAバス」に乗った。

 

中米を旅する旅行者がもっとも一般的に利用する交通手段がTICAバスだ。メキシコのタパチュラ市とパナマの首都パナマ市の間を、中米各国の首都を経由しながら行き来する。

 

このバスはグアテマラを出ると、途中、隣国エル・サルバドルの首都サン・サルバドルへ夜に到着、一泊し、翌早朝、目的地であるニカラグアの首都マナグアへ向け出発した。長距離バスではあったが、夜行運転はしていない。

 

グアテマラ市を13時に出発するバスに乗った僕が、エル・サルバドルの首都サン・サルバドルについたのは19時くらいだった。辺りはすっかり暗くなっていた。宿泊先の情報を持たずにグアテマラをでてしまい、漠然とした不安を持ちつつバスを降りた。すると目の前に、青白い電気に照らされた宇田さんが立っていた。まさかここで会えるとは思ってもみなかった。僕は驚きとともに、安堵の気持ちが広がった。大きな体躯の宇田さんから手が差し伸ばされ、握手を交わした。とても蒸し暑い夜だった。

 

僕は、「宇田さんが自分の到着を待っていてくれたのだ」と嬉しさがこみ上げた。ただ今これを書きながら振り返ると、そういえば、あれは僕を待っていたのかどうか尋ねたことはなかったと思いかえした。別の用事があって1日滞在した、ということかもしれなかったが、もう大した問題ではない気がする。

 

その日は、バス発着所に併設された宿泊施設に一泊し、翌朝5時発のバスで、目的地であるニカラグアの首都マナグアを目指した。マナグアについたのは夕方だった。

 

マナグアの発着所の周辺には、様々な価格帯の小さな宿が集まっていた。その日は、適当なところに泊まり、翌日僕は、自分の所持金と見比べて、他の宿を探すことにした。宇田さんが泊まるところから数ブロック離れたところに、手頃な値段の宿を見つけ、そこに泊まることにした。

 

薄い緑色のペンキが塗られた部屋には扇風機が一台と、コンクリート壁で仕切られたシャワー室がある。窓は小さく、薄暗い。全体にカビ臭い匂いがした。ただ、中庭が広く、熱帯の植物が植えられていたのが気に入った。値段は5〜6ドルくらいだった。

 

翌日からは、マナグアを歩き回る宇田さんに置いて行かれないよう、必死で後をついて行った。マナグアは、とにかく暑かった。市内のあらゆる場所を歩き続けた。照りつける真っ白い陽光が、気持ちいいほどに肌を焼く。瞬く間にシャツが汗で濡れる。

 

取材地の一つである「ゴミ捨て場」に向かったのは、到着した翌日だった。首都マナグア市から運ばれる廃棄物が、隣接するマナグア湖畔に広がる広大な土地に捨てられる。

 

「102」と書かれた市内を走る路線バスを拾い目的地を目指す。市内中心部は、首都とは思えないほどに木々が生い茂っているのが印象的だった。

 

マナグアは、1972年の大地震により市街地を中心に壊滅的な被害を受けた。その後、都市再建に取り組まず、復興支援金を着服する当時の独裁政権に対し革命運動が拡大。そして79年、革命勢力であるサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)によって首都が陥落し、革命政権が樹立する。マナグアは震災、革命戦による戦災の復興もままならないまま、米国の支援をうけた反革命勢力「コントラ」との内戦に突入。米国の経済制裁、内戦の長期化から、厳しい経済状況が続いた。かつての大聖堂や、大統領府がある旧市街中心地は再建がなされず、2004年当時、この周囲にはスラム化した居住区が広がっていた。

 

1972年の大震災で被災した大聖堂が補修しないまま今に至る。現在、崩落の危険から立ち入り禁止となっている

 

市内バスに乗り20分ほど走ると、目的地に到着する。下車し、大きな道路に沿った歩道を数分歩く。右手に折れ、未舗装の道の先に「ゴミ捨て場」の入り口が見える。宇田さんが警備員と話している。取材許可がおり、中へと進む。廃棄物を積んだ集積車が土煙を巻き上げながら、僕らの横を横切っていく。酸味のあるすえた匂いが辺り一面を覆っている。左手にある小さな沼で、子どもたちが水浴びをしていた。その沼を過ぎ小さな丘を登ると、正面に広大な「ゴミ捨て場」が広がっていた。奥はそのまま、琵琶湖の1.5倍の面積を持つマナグア湖に落ちている。遮るものが何もない。地平線の先まで続いているようだった。

 

放し飼いにされた何十頭もの牛が餌をさがし、無数のハゲタカが空を舞う。足元には、様々なものが落ちていた。果物やパンなどの食物、注射針などの医療器具、衣類品、ビニール、金属、動物の死骸、首都で暮らす人々の生活の中にある、不要となったありとあらゆるものが、ここに集まっていた。

 

ゴミ集積車や、廃材を満載したトラックがひっきりなしに入って来る。車両が到着すると、我先にと、人々がそこへ向けて走り出す。ここに集まる人々は、廃棄物から再利用可能なものを選別し、夕方ここに来る買取業者に販売することを仕事としていた。先端に鍵がついた背丈ほどの棒で車両から降ろされた廃棄物をかき分け、目当てのものを探しては、手にする大きな袋へと詰め込む。

 

太陽に照らされ自然発火した廃棄物から立ち上る煙があちこちに見える。舞い上がる煙と、湖からの風に吹かれた砂塵が、逆光の太陽を遮り、幻想的な風景を作っている。

 

宇田さんは、どんどん前へと足を進め、働く人々へと入っていく。そして、すごい勢いでシャッターを切っていった。僕もバッグからカメラを取り出すが、目の当たりにした世界に圧倒され、場の空気に飲まれていた。この日から1週間、ほぼ毎日ここに通うことになる。

 

あくる日は、トタンや板を貼り合わせた家々が軒を連ねる市内のスラムへと宇田さんが入っていった。

 

市内中心にスラムが広がっていた

 

細い路地を入っていくと、走る子ども、話に花を咲かせる女性たち、釘打つ金槌の音、家から漏れ聞こえる音楽など、日常の風景があふれていた。宇田さんは、ひたすら歩きながら、人々に声かけカメラを向ける。

 

スラムに暮らす人々

 

日がわずかに傾き、日差しが緩くなったころ、スラムの中にある雑貨屋に入り休憩をとった。宇田さんが冷えた瓶入りのジュースを買う。僕もコカコーラを買い、店の入り口に置かれたプラスチック製の椅子に座る。店先の木々の葉音のざわめきがわずかに聞こえる。午後のけだるい雰囲気が、辺りに漂っていた。

 

スラムの学校

 

店の奥に、古い映画に出てきそうな大きなジュークボックスが置いてある。少し間を置いて、入ってきた地元の若いカップルが、隣のテーブルに腰を下ろす。彼氏が、ジュークボックスにコインを入れ、曲を選ぶと、再び席に戻り、一本のコーラを二人で回し飲みし始めた。ジュークボックスからは、ジャマイカのレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーの「No Woman No Cry」が流れ出すと、カップルは顔を寄せ合い、熱いキスを交わした。僕はその光景に思わず見とれてしまっていると、僕の後ろから、そこへカメラを向ける宇田さんの姿があった。カップルの彼女はこちらに気がついたようだがキスをやめない。瓶が空になると、宇田さんが再び路地へと出て行った。

 

7月19日は、ニカラグアの革命記念日である。その日、1979年の革命から25周年を記念する集会が、マナグア湖に面した革命広場で行われた。数万人の市民が集った。ステージでは、四半世紀前の革命の英雄たちの演説が行われた。

 

革命広場で水を売る少年

 

集会を取材する宇田さんと離れ、僕は人ゴミのなかで行き交う人たちに声かけ、話を聞いた。革命戦争に参加したという男性が、戦争で負った腹の傷を誇らしげに見せてくれた。さらに、周囲の人たちに声をかけると、四半世紀前の記憶を、昨日のことのように振り返る。その熱のこもった話に聞き入った。

 

ゴミ捨て場も、スラムも、そこには当たり前の人々の営みがあった。「革命」という、それまで本の中でしか目にすることがなかった言葉でさえ、そこにいたのは日々の生活を営む一人一人の人間だった。

 

マナグアの日々は、一つ一つの場面が強烈な暑さとともに、僕の体に染み込んでいくようだった。

 

(続く)

 

フォトジャーナリスト 柴田 大輔

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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