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旅と言葉と 第2回

2018-04-17

グアテマラ西部、標高約2500mの高地に、先住民族マムが暮らすトドス・サントス・クチュマタンの町がある。低い群青の空が、山々を包み込むように広がっている。いつか写真で見た、チベットの空を思い出した。

 

グアテマラ西部の山間部に、先住民族が暮らすコミュニティーが点在している

 

山間の小さなこの町に、色鮮やかな民族衣装に身を包むマム民族が暮らす。女性は深い紫を基調とした「ウイピル」と呼ばれる手織りの衣装をまとい、男性は白地に青のストライプが走るジャケット、赤地と白のラインが入るズボンを身につける。2004年12月、僕はマムの家庭に部屋を借りながら、この町にあるスペイン語学校に通っていた。

 

民族衣装に身を包む、マム民族の子どもたち

 

メキシコからグアテマラに来た僕は、トドス・サントスに先立ち、「グアテマラの京都」ともいえる古都アンティグア市で、一ヶ月間、スペイン語学校に通った。そこで多少のスペイン語を覚え、以降の旅が俄然面白くなっていた。

 

メキシコでスペイン語の洗礼を受けた僕は、「スペイン語さえ話せれば、もっと面白いことが起こるはずだ!」という思いが日に日に大きくなっていた。そんな時、メキシコ市で同宿となった日本人旅行者から、「これからグアテマラでスペイン語を勉強する」という話を聞き、さらに別の旅行者が「アンティグアで、しばらく語学学校の管理人をするから来たらいいよ」との誘いをうけた。グアテマラとメキシコの位置関係もわからないまま、スペイン語を学ぶべく、グアテマラに向かう旅行者と共に慌ただしくメキシコ市を出発した。

 

アンティグアでは地元の家族にホームステイをしながら、一からスペイン語を勉強した。グアテマラ人の教師とマンツーマンで進む授業では、スペイン語のみが話された。幼い子どもが使うような、大きな絵が入った教材を元に、ジェスチャーを交えて言葉を覚えて行く。毎日が新鮮だった。一ヶ月がたつころ、一旦授業を区切ってグアテマラ国内旅行に出た。ひと月ほどで色々な土地を訪ねた。その中で出会ったのが、マム民族が暮らすトドス・サントス・クチュマタンだった。「先住民族の村」としてガイドブックには紹介されるトドス・サントスの記事は、見たことのない文化や習慣に触れてみたいという僕の好奇心を刺激した。

 

メキシコの南東部と国境を接するグアテマラは、紀元前4世紀から16世紀にかけ存在したマヤ文明が栄えた地域として知られる。国内には、マヤの栄華を知ることができる数多の遺跡があり、多くの観光客が足を運ぶ。

 

メキシコから国境を越えグアテマラに入ると、行く先々で、民族衣装を身につける人々が目に入るようになる。グアテマラでは、マヤ系の先住民族が全国民の約4割をしめ、特に、メキシコと国境を接する西部の高地に多く暮しているという。マム民族は同国で4番目に多い人口を持つ先住民族集団だ。僕が滞在した同国西部を中心にメキシコにかけて60万人以上が暮しているとされる。

 

グアテマラには、旅行者が「チキンバス」と呼ぶ、原色で派手に塗られたバスがあり、国内をくまなく走る。車内はパンパンに人で埋まり、車上には野菜や家畜など、あらゆる荷物が乗せられる。このバスにはわずかな隙間も許されない。この異国感溢れる風景に、僕は旅情を掻き立てられた。「チキンバス」を何度か乗り継ぎトドス・サントスを目指す。大きな町で最後の乗り換えをし、数時間走ると、草原が広がる高地に差し掛かった。人が降り、少し余裕ができた車内で僕は、車窓から見る風景に心を奪われていた。切れ切れとなった真っ白い雲が、地面すれすれの高さで、草原を滑るように流れていた。雲が目線の高さにある。手を伸ばせば届きそうだった。群青の空と、薄緑色の草原。その間を漂う真っ白な雲。日差しがそれらを鮮やかに照らし出す。このコントラストに興奮した。

 

トドス・サントスへ向かうバス。グアテマラ国内を「チキンバス」がくまなく走る

 

トドス・サントスでは町外れの宿に二泊した。町中や、その周囲を散策していると、外国人向けのスペイン語学校があると知った。訪ねてみると、オーストリア人の男性が管理人をし、地元のマムの人々が教師を務めていた。宿泊先として、マムの家庭を紹介されると聞いた。「異文化体験」をしたかった僕にとって願ってもないことだ。この時は詳細を聞き、また戻る予定で町を出た。

 

しばらく旅を続けてのち、再びトドス・サントスに戻った僕は、学校への入学手続きをすませ、ホームステイ先を紹介してもらった。受け入れ先となった家庭は、町の中心から徒歩で30分ほど離れたところにある「ロス・バブロス」という農村地区にあり、各家庭が自家消費用に栽培するトウモロコシ畑が周囲に広がっていた。トウモロコシは、主食であるトルティーヤ(トウモロコシ粉を練り、その団子を薄く伸ばし焼いたもの)の原料となる。グアテマラが位置する中央アメリカ西北部共通の食文化だ。グアテマラのトルティーヤは、メキシコに比べ分厚く、もっちりとしているのが特徴だ。風味が豊かなのも独特だ。

 

かまどで焼くトルティージャ。グアテマラのものは厚みがあり、風味が豊かだ

 

山間のあらゆるところに、収穫を終えたトウモロコシ畑が広がっていた。小さなスペースも丁寧に利用するその風景は、日本の田舎で見る、稲刈りを終えた田んぼの広がりにとてもよく似ていた。また、山には桜の花に似た、小さく白いリンゴの花が咲いていた。

 

高原に咲く花

 

空が夕日に赤く染まりだす時間になると決まって、ラジオから流れるマリンバの素朴な音色と、夕飯を準備するかまどの煙が、手を取り合うように家々から空へと舞い上がる。マリンバはグアテマラの伝統音楽。そのリズムは土地ごとに異なる特色を持つ。トドス・サントスのマリンバは、ゆっくりと穏やかなリズムが繰り返される。春の訪れを喜ぶ小鳥がさえずるような音色だ。当時、町に一つのラジオ局があり、夕方、同時刻にマリンバを流していた。それが、ちょうど夕飯の準備をする時間と重なっていた。僕がお世話になったロス・パブロス地区では当時、テレビを持つ家が少なく、かわりにラジオを各家庭で聞いていた。どの家も同じ地元ラジオ局にチャンネルを合わせていた。

 

僕が部屋を借りた家庭では、母親のウセビアさんが、10代後半の娘2人、その下の幼い2人息子たちの5人で暮らしていた。

 

長女のマルセラは、僕が通う学校の事務員として働いていた。スペイン語はあまり上手ではなかったが、その分、易しい単語を丁寧に繋ぎ、ゆっくり話してくれるのが、スペイン語を覚えたての僕にはありがたかった。彼女はおおらかで、幼い弟の面倒をよく見ていた。

 

次女のホセファは、せっかちな元気のいい女の子。彼女もスペイン語よりマム語が主で、下手な僕のスペイン語に合わせることなく、早口のマム語でまくし立てられることが多々あった。

長男のリゴベルトは、好奇心が旺盛な素直な少年で、僕にとても懐いてくれた。末っ子のオビディオは当時まだ3歳。ちょっと生意気で元気のいい男の子。次女に叱られよく泣いていた。

 

僕の授業は、午前中で終わる。朝ごはんを食べて、30分ほど歩いて学校に行き、終了後、帰ってお昼を食べる。夕飯まで、宿題をやる以外たいした予定は何もなかった。暇な旅行者の相手は、下の兄弟2人が請け負ってくれた。彼らが近所の友達と山をかけたり、畑でじゃれあったり、ままごとをしたり、元気に動き回る後にくっついて周り、写真を撮りながら毎日を過ごした。

 

末っ子のオビディオの名を、長女のマルセラは「ミーック」と呼んでいた。僕がそう呼ぶと、苦笑いをした。その名前は、マム語に由来するようで、戸籍上の名前ではないようだった。こういう名前を誰もが持っているのかは、分からなかった。

 

初めての夕飯は、塩で味付けをした煮豆に、ネギをまぶした大盛りの炊いたお米、それにトルティーヤ。かまどの前に椅子を並べる。裸電球のオレンジの光が家族を照らす。土の床がヒンヤリとしているが、かまどの火が部屋を温めていた。

 

改めて一つの場所で向き合うと、何を話していいのか分からず緊張したのをよく覚えている。

 

この家庭では、家族の間で使う言葉はマム語だ。スペイン語は、僕が混ざった時だけ口にする程度。僕と彼らが話すときは、互いに片言のスペイン語でやり取りをする。「グラシィアス トルティーヤ (トルティーヤを、ありがとう)」「ヨ ボイ ア エスクゥエラ マニャーナ(私は、明日、学校に、行きます)」ひと単語ずつ、覚えたてのスペイン語をゆっくり話す。この家の人たちのスペイン語も、そんなに違いはなかった。

 

グアテマラの公用語はスペイン語だ。この国で生まれ育ちながら、他の言語を主として使う人々がいるのだなぁと、不思議な気持ちを抱いた。スペイン語は、僕が英語を覚えたように、後から学校で教わるのだそうだ。これまでの、狭い僕の人生では経験することがなかった場面だった。

 

夕飯を食べ終わると、僕は寝室に割り当てられた離れの小屋に移動する。母屋の台所からは、ラジオから流れるこもった音と、家族の笑い声が漏れ聞こえて来る。会話はマム語なので僕には分からない。

 

夜は長い。日記を書くと、時間がぽっかり空いてしまった。木でできたドアを開け、部屋の外に出てみた。部屋からこぼれる明かりに、自分の吐く息が照らされる。静かな寒い夜だった。空を見上げると、見たこともないような星空が広がっていた。

 

<続く>

 

フォトジャーナリスト 柴田 大輔

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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