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旅と言葉と 第3回

2018-05-15

朝、寒さと背中の痒さで目がさめる。布団の中で何かがもぞもぞ動いていたのはノミだろうか。これから先は長いわけだし、気にしてもしようがない。朝は、5時ごろ皆が起き出す。日はまだ昇り始める前。台所では、母親のウセビアさんが、朝食の準備をするため、かまどに火を入れる。

 

4人の子どもを女手一つで育てるウセビアさん

 

部屋から出ると、長女のマルセラがホウキで庭を掃いている。彼女は何かを口にしたが、僕はそれが聞き取れず、不自然な間が空いてしまった。そのせいで、二人して微妙な笑顔を交わすことになった。

 

「ブエノス ディアス(おはよう)」。僕はとっさに出てこなかった挨拶を返した。この家では、スペイン語は僕だけのために使われる。ここで、スペイン語を使って過ごす意味ってなんだろうかと、ふと思う。

 

「ハンストサバ」

 

僕が初めて覚えたマム語だ。「おはよう」の挨拶を意味する。この時、マルセラが教えてくれた。

 

長女のマルセラは当時16歳。若い彼女が働き家計を支えていた

 

 

かまどの前では、母親のウセビアさんが、家族が食べる朝食のトルティーヤを焼いている。粉末状にしたトウモロコシを水でこね、小さくちぎって手のひらで叩いて伸ばす。僕は台所の隅にある、子ども用の小さな椅子に腰掛け、今、マルセラに教えてもらったばかりの言葉を口にしてみた。

 

「ハンストサバ」

 

聞きかじりなので、正しい発音なのか自信がない。それでも、僕の声を聞いたウセビアさんは、驚いた顔をこちらに向けるとニコっと笑みを返してくれた。

 

時間と共に、徐々に太陽が高くなる。この町は、東に高い山肌が迫るため、集落があるところへ日差しが届くまでに時間がかかる。軒下では2匹の痩せた飼い犬が、冷えた空気の中で身を寄せうずくまっている。

 

かまどの脇で、火に当たりながら朝食を食べる。焼きたてのトルティーヤと、塩味がきいた煮豆にコーヒー。隣では、次女のホセファに早口で怒られた末っ子のオビディオが、豪快な泣き声をあげている。「早く食べなさい!」とでも言われているのか。マム語なので僕にはわからないが、かつて僕自身が幼い頃、母親に叱られた記憶が重なってみえた。すると、不思議なことに、マム語の会話が勝手に翻訳されて僕の頭に入ってくる気がした。手早く朝食を食べて、僕は学校に向かう。太陽が昇ると、外が一気に暖かくなる。

 

「シュホンティテイヌロ(ありがとう)」

 

末っ子のオビディオ。元気がよすぎて姉によく怒られていた

 

近所の幼馴染と遊ぶオビディオ

 

 

「おはよう」の次に、僕が覚えたマム語だ。

 

ある日、長女のマルセラが、仕事帰りにみかんを買ってきた。縦長の黄色いネットの中に、六つくらい入っていたように思う。幼い2人の弟が、嬉しそうに駆け寄ってきた。「シュホンティテイヌロ」。みかんを受け取る2人が、マルセラに言う。ここでは普段、甘いものを食べる機会がとても少ない。子どもたちが、手にした大きなみかんの皮をむき、なんとも美味そうに食べている。そんな2人の顔を、僕は羨ましそうに見ていたのだろうか。マルセラが、僕にもひとつみかんを分けてくれた。なんだか、素直にもらっていいのか躊躇したが、ありがたく受け取った。「シュホンティテイヌロ」。子どもたちと同じように、僕も、そうお礼を言った。

 

「ありがとう」を初めて教えてもらったのは、食事のとき。トルティーヤを受け取る際に「グラシアス」とスペイン語で「ありがとう」を言っていた僕は、マム語では何と言うのかをマルセラに尋ねた。

 

食事といえば、その時の1年余り続いた中南米旅行の中で、最も印象的で、かつ、うまかったものをトドス・サントスで食べた。庭で絞めた豚1頭を、鮮やかな手さばきで解体し、肉と内臓を大鍋で煮込んだものだ。その日、僕が居候をしている家庭の親戚宅で、何かのお祝い事があり、大勢の来客への振る舞い料理だった。大きな豚が、あっという間に「肉」になっていく。目の前の出来事に、思わず見とれた。

 

ぶ厚い脂の浮いた汁を、オタマですくって器に入れる。どの部位かわからない肉の塊と、刻んだ臓物がいっぱいに入る。スプーンで口に運ぶと、濃厚な味が胃の底にまで染み渡る。こんなにうまいものはこれまで食べたことがない。今思い出しても、その味が喉の奥に蘇る。この煮込みを食べると、もっちりとした、香ばしいトルティーヤがすすむのだ。その土地の主食は、その土地の料理に合うようにできているのだと、感じいった。帰宅すると、長女のマルセラが僕にしみじみという。「ここの人はみんな優しいのよ」。

「シュホンティテイヌロ」僕は、彼女にお礼を言った。

 

母親のウセビアさんは毎日、日中は、軒先に敷いた布に腰を下ろし、広げた織り機でウイピルを織っていた。長女のマルセラも、仕事が休みの日は母親と向かい合う形で場所を作り、同じように織物をする。時折ウセビアさんが立ち上がり、マルセラにアドバイスを送る。こうして日々の暮らしに必要な技術が受け継がれていくのだなと、僕は横で眺めていた。

 

軒下で織物をするウセビアさんとマルセラ。繊細な技術を母が娘に教えていた

 

この家庭にはシャワーがなかった。あまり説明もなかったので、聞いてはいけないのではと変に勘ぐってしまい、最初の数日は、体を洗うにはどうしたものかと悩んでいた。女性たちが朝、庭先にある水道で髪を洗っているのは毎朝見ていた。

 

ここに来て3日目くらいだったろうか、夜、夕飯を終え僕は部屋でくつろいでいた。部屋の戸を叩くマルセラが、大きな壺を持ってきた。そして、「チュウフ」というものを勧められた。僕にはそれがなんだか分からなかった。壺には水が入っていた。

 

「チュウフ」とは、サウナのことらしい。自宅にサウナがあるのだ。

 

そういえば、庭に「かまくら」のようなものがあったのを見ていた。日本では、雪を固めて作るあれだ。ここでは土を固めて作られていて、人が2人くらい入れる空間がある。僕はそれを、オーブンのように料理に使うか、もしくは、ゴミを焼くためのものではないかと、あまり気にもとめずにいた。マルセラはなんと、この「かまくら」がサウナになるのだと言う。思いがけないことに、僕は気分が盛り上がった。中を覗くと、天井は低く、立って入るのは難しそうだった。奥には火がくべてあり、その上で大量の石が焼かれているのが、真っ暗な室内に浮かび上がっている。この焼けた石に水をかけ、蒸気を出すのだ。2人掛けのベンチのようなものがあり、そこに座って体を洗ったりもできるらしい。壺に入った水は、「チュウフ」で入浴するためのものだった。

 

あとで調べると、メキシコの一部やグアテマラでは、このサウナを「テマスカル」という名前で呼ぶのが一般的であるらしいと知った。「チュウフ」はマム語だったのかもしれない。

 

サウナは大変気持ちが良かったのだが、体を洗うのがうまくできず、床をビショビショにしてしまい迷惑をかけた。数日後に巡って来た2回目のチュウフでは、使う水の量を減らすことで、なんとかうまく乗り切ることができた。

 

トドス・サントスの学校を通したホームステイは、15日で一つの区切りとなっていた。延長することもできたが、学校が冬休みに入ってしまったことと、「世界一周」という目標をその時まだ持ち続けていたことから、ここでトドス・サントス滞在を終えることにした。

 

滞在中、暇な旅行者である僕の相手をしてくれていたのが、長男で小学生のリゴベルト。出発の日の2日前、母親にお使いを頼まれた彼に付き添った。あたりはすっかり暗くなり、厚手のジャンパーが必要なくらいに冷え込んでいた。小さな雑貨店で切れてしまったロウソクを買う。それと一緒に、僕は家族の人数分の飴を買い、彼に手渡した。家までの帰り道、飴をなめつつ暗がりを歩きながら、ここを去ることを彼に伝えた。拙いスペイン語が、少年と僕の間を行き来する。複雑な言い回しが出来ないので、言葉がまっすぐになる。なんとも切ない気持ちになった。

 

しっかり者の長男リゴベルト。暇な僕の遊び相手になってくれた

 

この農村で経験した、淡々と繰り返される日々と、そこで交わした人々との交流が、僕には忘れられない「異文化体験」となった。だんだん、転々と行き先を渡り歩く「旅」に関心が薄れていった。

 

トドス・サントスを後にした僕は、都合で4ヶ月近く滞在したグアテマラを後にした。

 

子ども達は、時間があれば色々な遊びを発明して走り回る

 

 

追記

グアテマラでは、1962年から1996年にかけ激しい内戦が続いた。特に反政府ゲリラが活動した農村では、その被害は甚大だった。20万人を超える犠牲者の多くが、マム民族を含む先住民族だったといわれる。マムが暮らす高地は1981年から82年にかけて、政府軍による犠牲者が多く出たという。トドス・サントスもその被害を被っていた。数百人単位の犠牲者が出たという資料もある。

 

僕は滞在中、戦争が残した欠片にすら気づかなかった。戦争は、わずか10〜20年前の出来事だ。もし、少しでも知識と関心があれば、わずかに体験した「異文化体験」が、どんな歴史の上に成り立っていたのか感じることができたのではないだろうか。ひとつひとつの出会いが、違った意味を持ったのかもしれないと、今思う。

 

追記として、書き残しておければと思う。

 

フォトジャーナリスト 柴田 大輔

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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