宇田さんの後ろをついていくだけだったマナグアでの日々。1週間が経ち、宇田さんがニカラグアを離れる日が来た。僕は、そのままニカラグアに残るのか、それとも旅を続けるのかを考えていた。
「ゴミ捨て場」には毎日大量の「ゴミ」が運ばれてくる
現地最後の日、毎日のように通ったゴミ捨て場から戻り、宿が集まる一角にある定食屋に夕食をとりに入る。1日の終わりに、ほぼ毎日来ていた定食屋だった。店先では、もうもうと煙を上げながら、鳥や牛の肉が炭火で焼かれている。香ばしい肉の匂いに誘われる、満員のお客さんは、旅行者よりも地元の人が多そうだ。勢いのあるスペイン語が店の中を飛び交っている。店内のショーケースに並ぶ料理から数品おかずを選び、メインの肉を鳥か牛か選んでテーブルに着く。さほど間をおかずに、注文した食べ物がのったプレートが、日替わりフルーツジュースとともに運ばれてきた。ガヨピントという、赤飯に似た豆ご飯もついてくる。 テーブルに宇田さんと向き合い、食べ始める。
どのような会話の流れだったのか。皿が空になろうとしていた頃に、僕は宇田さんに緊張しながら尋ねた。
「帰ったら写真をみていただけないでしょうか」
宇田さんの答えは、僕の想像とは違ったものだった。
「うん、でも、今のままなら写真は見なくてもええ気がするかなぁ」。予想外の言葉だった。
この1週間は僕にとって、とても長く濃密なものだった。この期間を振り返り、宇田さんに感謝の気持ちを伝え、もしかしたら励ましを受けたりするかもなどということを、なんとなく僕は想像していた。
宇田さんが言葉を続ける。
「この前あそこ(「ゴミ捨て場」)で、なんで写真撮るのか聞かれた時に『仕事』って答えてたよね?仕事ってなんやろね」
その場面を僕はよく覚えていた。相手は「ゴミ捨て場」で働くおじさんだった。仕事の手を休め一息つくおじさんへ、少し離れたところから僕はカメラを向けていた。僕に気づいたおじさんが「お前はなんのために写真を撮るんだ?」と僕に尋ねた。その声色から、カメラを向けられたことへの不快感が伝わってきた。僕は質問の答えを用意していなかった。言葉に窮して「これは私の仕事です」と答え、その場を取り繕った。
おじさんが僕の答えに納得していないことは、その表情から読み取れた。僕は気まずさを誤魔化せず、彼と向き合うことをさけ、その場を離れた。
当初、僕の関心は、「ゴミ捨て場」で働き生活を送る一人一人の人物にまで及んでいなかった。自分の都合で宇田さんの後を追いかけてきた僕の気持ちは、そこでどう自分が変わることができるかだけに向いていた。実際に足を踏み入れてみると、その場所の迫力ある「フォトジェニック」な風景に目がいった。そこにいる人もまた、僕がこれまで出会ったことのない、強烈な雰囲気を持っていた。僕は、「ゴミ捨て場」で働く人たちの雰囲気にビビっていた。
僕はなぜ、その場にいることができたのだろう?それは、僕が宇田さんの後をついて歩いていたからだった。ただ、怖がりながらも「これは良い絵が撮れる」と考え、直接会話をすることもなく、自分を相手に晒すこともせずにすむ安全なところから、人々へカメラを向けていた。
誰だって「ゴミ捨て場」にいるというだけで、見ず知らずの人間に写真に撮られる理由など何もない。撮る側は、なぜカメラを向けるのか説明する義務がある。当たり前だ。僕はなぜそこで写真を撮るのだろう。その時は、理由など何もなかった。というよりも、そんなことすら考えたことがなかったのだ。旅行で訪ねた先で、たまたま出会った珍しい風景にカメラを向ける。それと変わらない理由で、僕はカメラを手にしていたのだと思う。宇田さんが指摘したのは、そういうことだったのではないだろうか。「仕事」ってなんだろう?何のために何をするのが「仕事」なんだろうか。僕は何も考えていなかった。僕が口にした言葉の空っぽさは、そのまま、自分の中身の空っぽさだった。
強い日差しを受けて、廃棄物が自然発火する
「写真を撮る以前のことやからね。もっと『プロ意識』を持たなあかんよね」
肉の煙が立ち込める食堂で、最後、宇田さんは僕にそう言った。僕は情けなくなり、悔しく思い、思わず泣けて来てきた。
「ゴミ捨て場」で働く人々①
食堂で別れて宿に戻った。部屋に漂うカビ臭い匂いが鼻をついた。シャワーを浴びて、しばらくボーっとしていた。
「ゴミ捨て場」で働く人々②
翌日、朝4時ごろのバスで宇田さんが出発すると聞いていた。僕は見送りに行こうと思った。部屋にいると眠くなってしまう。遅れたくないと思い、宇田さんが宿を出るところで待つことにした。早めに行ってロビーで待とうとしたのだが、入り口が施錠され中には入れなかった。門の前で、守衛さんと話しながら座っていた。しばらくして、宇田さんが大きな荷物を持って外に出てきた。驚いていたようだ。何かを話しながら、バス乗り場まで歩いた。また会う日は来るのだろうか。その時は、あまりよく考えず、出発するバスを見送った。
その日から、僕はマナグアで一人になった。このまま移動を続けて何の意味があるんだろうか、これからどうしようかと考えた。
取材の中で宇田さんから聞いた言葉が心に残っていた。
「ここにあるのは『ゴミ』じゃないんだよなぁ」
「ゴミ捨て場」で働く人々③
「ゴミ捨て場」には、毎日大量のモノが運ばれてくる。その全てが、首都マナグアに暮らす人々にとって不要となったモノだ。当時、そこには分別廃棄の仕組みがなかったことから、ひっきりなしに出入りする集積車により、ありとあらゆるモノが運び込まれていた。人間にとって不要となったモノが「ゴミ」であるするならば、運ばれて来たモノは、ここで働く人にとって「ゴミ」ではない。換金することができる大切な収入源だ。ここで働く人々は、都市で不要となった「ゴミ」から再利用可能な金属、プラスチックなどを分別し、買取業者に売ることで生計を立てている。その作業を日本で日常的に目にする場面は少ないかもしれない。しかし、どこの国でも行われている廃棄物の処理を、ここでは企業ではなく個人が外に見える形で行なっているのだ。
首都マナグアから運ばれる廃棄物から、換金可能なモノを分別し集める
また、「ゴミ捨て場」で興味深い話も聞いていた。マナグアから約400km近く離れたカリブ海の町から来た父子がいた。マナグアで何がしかの用事を終えて「ゴミ捨て場」へ来たらしい。帰る前にここでひと仕事をして、少しばかりのお金を作って帰るのだという。ここに来れば、1日頑張って働けば10ドル(当時の話)以上を稼ぐことができる。通常の日雇い仕事の日当よりも多い金額なのだそうだ。まさにアルバイト感覚でくる人がいたのだ。
ここは「ゴミ捨て場」などではないのだ。
マナグア湖からの強い風が吹きつける
僕は、ここでまだたくさんのことを見なければいけないと思った。何より、自分のために、ここで逃げ出すわけにはいかないと思った。
その日からもう一ヶ月、ほぼ毎日「ゴミ捨て場」に足を運んだ。
「ゴミ捨て場」に隣接するスラムに作られた学校には「ESPERANZA(希望)」という名がつけられていた
(続く)
フォトジャーナリスト 柴田 大輔
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