南仏・モンペリエという町で観光していたときのこと。宿で知り合ったマドモアゼルに「次はセリニャンに行ってみたいんだよね」と言うと「どこ?それ」「ファーブルが暮らした村らしいんだけど」「だれ?それ」…話には聞いていましたが、日本では小学生でも知ってるけど本国フランスでは意外に知名度低いんですね、ファーブルさん。
こんにちは。村田活彦です。ということで行ってきました。『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルが56歳の時に移り住み、以後亡くなるまで虫の研究を続けた小さな村・セリニャン(Sérignan du Comtat)。実は私、仕事で『ファーブル昆虫記』に関わった経験もあり、フランスで行きたかった場所のひとつだったのです。
2014年7月24日朝、まず電車でオランジュという町に向かいました。世界史の教科書に載っている「オレンジ公ウィリアム」という名前を覚えている方もいると思いますが、そのオレンジ公の元領地ですね。ここも歴史ある味わい深い町なのですが、先を急ぎましょう。露店がならぶ朝市を突っ切ってとにかくバス停へ。この日は朝から晴天。早足で歩いているとうっすら汗がにじんできます。オランジュからセリニャンへ向かうバスは1時間に3〜4本。ごく普通の路線バスです。
バスのシートに揺られること15分ほど、窓の外には田舎の風景が続いていたのですが、ん?なんだありゃ? ラベンダーの茂みからぬうっと姿をあらわした巨大カマキリのオブジェ。間違いない。ここがファーブルさんの村、カマキリは村の門番って感じでしょうか。慌ててバスを降ります。
ファーブルは自宅の前の一角を「アルマス(Harmas)」と名付けたそうです。アルマスっていうのは荒れ地という意味。人の手を加えず、自然のままにしておいて、その場所でスカラベ(フンコロガシ)やハチを観察したんですね。最寄りのバス停の名前も「アルマス」といいます。
バス通り沿いはそれなりに家が並んでいるのだけど、不思議なくらい静か。村の中心にある小さな広場には、ファーブルさんの銅像もありました。虫眼鏡を持ったそのポーズは、なんとなく児童向け『昆虫記』の挿絵などで見覚えがあるような気がします。“Harmas J.H.FABRE”という看板に従って歩いていきましょう。足元にはラベンダーやアザミやタンポポ。近くの木立からかすかにセミの声が聞こえてきます。
ファーブルの家は現在、資料館になっていて、その隣にちいさな自然博物館があります。資料館や博物館も気になるけど、まずはファーブルが昆虫を追ったその場所に立ってみたい。受付で「アルマス」はどこ?と聞くと「ここだ」というお答え。いや、そうじゃなくて。ファーブルさんが最初に「アルマス」と名付けた場所はどこ? とフランス語と英語のミックスで一生懸命説明するのですが、なかなか通じない。と、そこへやって来た庭の管理をしているらしいおじさん。どうやらわかってくれたらしく「こっちへおいで」みたいなゼスチャーをします。
おじさんの後について庭を横切り、「ここだよ」と言われた場所は小学校の25メートルプールくらいの広さ。庭自体はもっと大きいので、あれ、こんなもんなの?って感じがします。周囲を歩いてみたらぐるっとひと回り240歩。しかも文字通り荒れたままの場所。特に手入れがされているわけじゃなく、今も草木が伸びるままになっています。
思わず「こんなに小さな場所なんですね!」と言うと、「そう。でも彼はこの小さな場所で本当にたくさんのものを観たんだ」とおじさん。なんだかグッときました。
「荒地」のまんなかに腰をおろし、そのまましばらく頭を空っぽにしてみます。南仏の強い日差しの下、木漏れ日が丸い模様を地面に落としています。目の前をハチが二、三度横切り、花にとまり、また去っていきます。カラフルな、でも名前を知らないハンミョウみたいな虫もなにやらもぞもぞしています。こういう光景を、100年前にファーブルさんも見ていたんだろうなと思うと、なんだか楽しくなってきました。
庭っていうのは手のひらの宇宙なのかもしれません。自分のすぐ身近にあって、季節や自然を感じられる場所。そこをじっくり観察していけば実は宇宙の摩訶不思議や、どんな冒険旅行にも劣らない大スペクタクルが広がっているんじゃないでしょうか。そう考えると『ファーブル昆虫記』全10巻というのは、セリニャンの小さな荒地で繰り広げられる一大叙事詩…なんていうと、この連載にこじつけすぎかな。
遠くでは相変わらず、100年前と同じセミの声がしています。もし南仏に行くことがありましたら、ぜひセリニャン村のアルマス、行ってみてください。
というところで、また次回。À bientôt!