中国の少数民族というと、色鮮やかな刺繍の民族衣装を連想する方も多いと思いますが、ナシ族の衣装はかなり地味なものです。さらに現在では、農村部の高齢者を除けば、民族衣装を日常的に着ることはほとんどなくなっており、お祭りや行事の時などに着る程度です。麗江市のナシ族女性の民族衣装は、紺色を基調としたもので、ブラウスとズボン、チョッキ、前掛けと、羊の毛皮で作った背当てからなっています。ye’eel(ヤグ、もしくはヨグ)と呼ばれるこの背当てには、7つの丸い刺繍の飾りがつけられており、北斗七星を表していると言われます。一方で、男性の民族衣装は、一部の地域を除いては、ほぼ消失してしまっているというのが現状です。また、華やかな色どりのプリーツスカートの女性の民族衣装を見ることがありますが、これは1980年代に新たに開発されたもので、伝統的なものではありません。
麗江ナシ族女性の民族衣装
ナシ族の主食は、米と小麦です。米は炊いて食べる以外にも、餅のように固めたxilmeeddvq(シムドゥ、漢語で“餌塊”(アルクワィ)と呼ばれるもの)や、麺条の“米線”(ミーシェン)がよく食べられています(“米線”のナシ語固有の呼び名はありません)。小麦は、中国全土でよく食べられている蒸しパンの“饅頭”(マントウ)のほか、良くこねて中華鍋で蒸す大きなパン、Jjiqmeel baba(ジムパパ)にして食べたりします。おかずとして食べられている肉類は、漢民族と同様に豚肉がメインです。新鮮な肉を炒めたり煮込んだりする他に、保存食である干し肉、bvqshee(プシ、漢語では“臘肉”)もよく食べられており、春節の年越しには丸ごと干した豚の頭、bbuq gu’liu(ブクリュ)が必需品で、年越しの夜に時間をかけて煮込みます。また、同じく春節の年越しに必要な食べ物として、豚の血とスパイスをからめたもち米を腸詰めにしたmaqbbv(マブ、漢語では“米灌腸”)があります。これは一見すると黒くてグロテスクですが、もち米が主材料なので意外に食べやすいものです。
ジムパパ
もち米と血の腸詰め、マブ
この他、ナシ族の土地で重要な食べ物としては、高地でしか産出しない豆を使ったいくつかの食べ物があります。この豆はaiqceelcee(アツツ、漢語で“鶏豆”)と呼ばれる小さな灰色の豆で、形状が鶏の目玉に似ています。この豆のデンプンを固めたトコロテンのような食べものがhee’ail(フア)で、酢や醤油、唐辛子、ネギなどと和えて食べます。フアを乾燥させたものを油で揚げると、パリパリとした軽いおせんべいとなり、これはheega’leiq(フカレ)と呼ばれます。見た目はお菓子のようですが、立派な夕食のおかずの一つであり、春節の墓参りに持参して、ご先祖様へのお供え物とする大事な食べ物です。
基本的に、ナシ族の食卓は漢民族の文化の影響を強く受けており、以上に述べたやや特殊な食べ物以外は、漢民族の料理とさほど大きくは異なりません。しかし一方、ナシ族の食文化に強い影響を与えているものとしてチベットの食文化があり、その代表格としてバター茶(ナシ語でmaqleil(マレ)と呼ばれます)があります。バター茶は、チベット人が一日に何度も飲むお茶で、濃く煮出したプアール茶に、独特の香りが強いヤクのバターと塩を入れて撹拌したものです。ナシ族の家では朝に飲むことが多いようです。ヤクのバターは香りが強く、初めはやや飲みにくいものですが、慣れてくると、高原の涼しい朝の空気の中で、ジムパパを食べながら飲むマレは格別の味わいです。
食卓に並ぶフア、フカレ、マレ
雲南省麗江市の旧市街に見られるナシ族の伝統的な住居は、街並み全体がユネスコの世界文化遺産にも登録されており世界的に有名ですが、ここに見られる家屋の様式は、もともとはかつて中国各地に見られた漢民族の住居の様式を取り入れたものです。ここで最も多く見られるのは、四角い中庭を三つの棟が取り囲む「三合院」の形式で、棟のない面には白壁があり、ここに反射した日光が部屋の奥に差し込むようになっています。白壁の上部や家の外壁には書画が描かれ、これも漢民族の文化的な趣味を反映していますが、まれにナシ族のオリジナルとして、ここにトンバ文字の書画作品が描かれることがあります。
旧市街の家の外壁に書かれたトンバ文字
一方、農村部のナシ族の住居には、一部に漢民族の影響を受ける以前の素朴なナシ族の家屋の様式が残っていることがあります。このような家屋の壁は、木材をログハウスのように組み合わせた作りで、屋根は板葺きで石の重しで押さえてあります。中は入口近くに土間のスペースがあり、ここが調理場でもあり、奥には囲炉裏を囲んで板敷きの床が作られ、ここが寝床も兼ねています。
農村部の素朴な住居
ところで現在、ナシ族の居住地の中心であった麗江市の旧市街では急速な観光開発が進んでおり、全く皮肉なことに、「世界文化遺産」の立派な看板とは裏腹に、旧市街ではナシ族の生きた文化がほとんど消え去ろうとしています。今でもナシ族の生活文化がよく見られるのは、麗江市でも旧市街以外の地域、特に、観光客のあまり訪れない農村部です。
國學院大学 文学部外国語文化学科 黒澤直道
とても楽しく読ませていただきました。血の腸詰はドイツでも食べられていますが、米を入れるところがアジアらしいと思いました。ナシ族の文化が農村に残っている、というのを知ってホッとしました。それでも漢民族の影響を受けている、という説明でしたから、独特の文化は少しづつ失われるんでしょうね。逆に新たに生まれた、ナシ族ならではの新しい文化があったらいいな、と思いました。トンパ文字は寄れる人は多くないと聞いたような気がしますが、壁や天井に書画的に使われるということでしたら、なんらかの形で伝承されているのでしょうか?食文化はとても興味深く拝読しました。豚肉が中心というのは土地柄なのでしょうか?つまり牛を買うには適さない場所という意味です。それであれば鳥も適している気がします。鳥はいかがなのでしょうか?とにかく楽しかったです。取り止めがなくてすみません。
お読みいただきありがとうございました。次回では、現在ナシ族の置かれている状況などについて書いていただく予定です。
牛や鳥などについては今度聞いてみますね。貴重なご意見ありがとうございました。お礼申し上げます。