会社概要会社概要 サイトマップサイトマップ お問い合わせお問い合わせ

【チワン語】第3回 ~ チワン族の文化~

2019-04-02

チワン族は長期にわたり漢民族の影響を受け、漢化の度合いの高い民族集団として知られていますが、言語以外でも独自の文化を守り続けています。今回、連載3回目にあたり、チワン族の文化(衣食住、年中行事、娯楽)について簡単にご紹介します。

 

 1、衣食住

 

  服飾

  チワン族の工芸品として五色の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名ですが、民族衣装はかなり地味です。1990年代までよく目にした民族衣装は青色ないし藍色の物が多かったです。1990年代頃、筆者が住む龍茗鎮では、一部の高齢男性を除けば、民族衣装を日常的に着る男性はほとんどいませんでした。しかし、その頃中年以上の女性たちは日常的に民族衣装を着ていました。彼女たちは、ボタンが左脇下にある青色ないし藍色の上着を着用し、青みがかった黒のズボンを穿き、頭に青色や模様入りの布を頭巾に用いることをよく目にしました。しかし、民族衣装は今消失しつつあります。今は農村部に住む一部の高齢女性を除いては、ほぼ民族衣装を着る人がいなくなりました(写真1-1、写真1-2)。

 

写真1-1 民族衣装を着ている筆者の祖母がサツマイモを選別しています。家にいると時々民族衣装を着ますが、街や親戚の家に行くときはもう民族衣装を着なくなっています(2019年2月撮影)。

 

写真1-2 民族衣装を着るチワン族の高齢女性です。頭を模様入りの布で巻いています(2011年3月撮影)。

 

写真2 自分で編んだ籠を担って町まで販売する途中のチワン族の高齢男性、チワン族の一般男性と同じく民族衣装を着用していません(チワン族の黄麗華氏提供、2019年3月撮影)。

 

食文化

チワン族の主食はおもに米ですが、トウモロコシ(写真3)も主食です。米はご飯やお粥に炊いて食べる以外にも、米汁で蒸して作った手作りビーフン(写真4)や米汁を豚の腸に詰めたloːŋ33 (ローオン、漢語では「米腸」、写真5)がよく食べられます。トウモロコシの粉をお粥にして食べたり、お餅にして食べたりします。チワン地域は一年を通じて豊富な野菜がとれるので、日本とよく似た種類の葉物野菜、根野菜や豆類などをよく食べます。豚肉をよく食べますが、自宅で飼育するニワトリ、アヒル、ガチョウ、川や湖などで獲れる魚、タニシや貝および狩で獲った蛇を含む野生動物も食用とします。一部の地域では犬、牛やヤギの料理も食べますが、草食で農耕に必要な水牛や馬(写真6)は一般に食べません。

 

日本人と同様にモチや刺身風の食品(写真7)を好んで食べ、日本酒のような飲みやすいお米の酒law213 kʰaːw415(ラーウ・ガーウ、白酒)、白酒に龍眼、ライチなどのフルーツを漬け込んだ果実酒、後から酔いがまわってくるトウモロコシの酒、甘酒および蛇や亀などを漬け込んだ薬酒(写真8)を飲みます。また、糯米食品の灰汁巻き(写真9)、粽(写真10)、草餅(写真11)、五色に染めた「五色飯」(写真12)などや豚の丸焼き(写真13-1、写真13-2)をよく食べます。

 

写真3 広西チワン族自治区天等県龍茗鎮逐仗屯のトウモロコシ畑です。夏はトウモロコシのお粥が定番の主食です(2014年6月撮影)。

 

写真4 広西チワン族自治区天等県でよく食べられるビーフンです。これに酸っぱく漬けた野菜や唐辛子のジャムを添えて食べます(チワン族の黄麗華氏提供、2019年3月撮影)。

 

写真5  広西チワン族自治区天等県の各地で食べられるloːŋ33 (ローオン)です。白いのは米のみ詰めたもので、茶色っぽいのは豚の血と米をからめた腸詰めです。いずれも塩で味付けます。なお、大新県、靖西県、德保県などの広い地域にわたって食べられる食べ物です(2015年3月撮影)。

 

写真6 馬(左)と水牛(左)はチワン族の需要な労働力です(2011年3月撮影)。

 

写真7 チワン族の「刺身」は草魚、鯉のような淡水魚です。塩に醤油(唐辛子が入っている)と酸味のある漬物とあえて食べます。2013年3月10日、広西チワン族自治区の苹果県海城郷陳啓仁氏の自宅にて。

 

写真8 広西チワン族自治区天等県龍茗鎮定期市場で販売されている蛇の薬酒(白いバケツの中)や乾燥した蛇、亀や子ワニなどです(2011年8月撮影)。

 

写真9チワン族の灰汁(あく)巻きです。形は大体細長いタイプや立体三角タイプです。灰汁に漬けておいた糯米を宗竹の皮か竹の葉などで包み、紐で縛って数時間煮て作ります。蜂蜜や砂糖水をつけて食べます。その味は日本の南九州で食べられる灰汁巻きと大差がありません。

 

写真10 筆者の祖母と祖母の従姉妹がチワン族の草餅(ji:31kɔŋ213 keːt251、ジーゴンゲイ)を作っています。バナナの葉っぱや粽を包む草の葉っぱで包んで蒸します。糯米に混ぜて餅を作る材料として、ヨモギやkɔŋ213 keːt251(ゴンゲイ、雑草の一種、学名不詳)などの草を採集して使用します(2015年3月撮影)。

 

写真11 チワン族の粽です。餡にはゴマ、緑豆、味付けした豚肉など様々あります。植物の葉で包み、孟宗竹の皮を裂いて作った紐で縛って作ります。包む時に中に餡を入れて両端を平たく丸め、真中を隆起させ、猫背のようにします。大きいものは数キログラムほどの大きさになり、小さいものでも500グラムはあるので、長い時間煮なければなりません(2018年2月撮影)。

 

写真12 旧暦3月3日「三月三」の祭りの時に食べる「五色飯」です。炊く前の糯米に赤フジバカマ(赤色)、黄飯花(黄色)、楓葉(黒色)、紫藤(紫色)などの植物の汁をそれぞれ浸たして着色します。なお、写真のものの一部は真っ赤に染められず、薄い赤もしくはオレンジ色っぽくなっています(2016年4月撮影)。

 

写真13-1 広西チワン族自治区天等県龍茗鎮逐仗屯における豚の丸焼きを作る現場(左)と出来上がった豚の丸焼きを待つ人々(右)です(2011年3月撮影)。

 

写真13-2 広西チワン族自治区天等県龍茗鎮逐仗屯で作った豚の丸焼きです。炭で長時間じっくりと焼き、焼き立ての豚をその場でカットして食べます。豚の丸焼きは市場の日に販売されることもありますが、正月、祭りやお祝いの時によく作ります(2015年2月撮影)。

 

住居

チワン族の伝統的な建物は高床式木造建物(写真14)ですが、土壁や瓦で作った非高床式平屋(写真15)も多くあります。高床住居の上層には人が居住し、下層で家畜を飼育し農具を置きます。しかし、前回の連載でも述べたように経済発展につれてチワン族の伝統的な建物が減少しつつあり、一部の地域を除いてほとんど見られなくなっています。農村部でも立派なコンクリート製の建物が建ち並んでいます。ただし、昔と変わらず各家の中には祖先の祭壇(写真16)が置かれ、冠婚葬祭や年中行事のときに供物を供えて祖先を拝みます。

 

写真14 広西チワン族自治区天等県福新郷某村にあるチワン族の高床住居です(2018年6月撮影)。

 

写真15 広西チワン族自治区崇左市北岩村北岩屯にある非高床式で、土壁や瓦で作った建物です(2019年2月撮影)。

 

写真16 広西チワン族自治区天等県文秀村にあるチワン族の祭壇です。鶏や粽および果物などの供物が供えられています(2019年2月)。

 

2、年中行事

 塚田(2000)は大量の歴史文献および1980年代末から1990年代にかけるフィールドワークによって得られた資料を用いて、明代以降の時期におけるチワン族の民族文化の形成過程と漢文化の受容について詳しく論じています。それによれば、チワン族の年中行事は漢民族から受容されたものが見られますが、漢民族の影響を受けながらもチワン族の独自性が表れているものも見られます(塚田 2000:127)。また、チワン族の年中行事には各地で一定程度の共通性が見られるものの、その来歴の多元性や漢民族との社会関係の濃淡、政治組織の総意、さらには自然環境などの要因が複雑に絡みあって形成されたため、チワン族の間でも地域差が見られると指摘しています(塚田 2000:142)。実際、チワン族の年中行事に関する参考文献である黄·黄·張(編)(1988:675-685)と梁(編)(1987:89-103)を整理し、チワン語の北部方言区に属す龍勝県の行事を参考にしてまとめた塚田(2000:57-61)を確認したところ、筆者の故郷である広西チワン族自治区天等県龍茗鎮で行われていない行事があります。例えば、龍茗鎮では旧暦の4月と10月に行事が無いのに対して、旧暦の4月8日にチワン語北部方言区では「牛魂節」(ギュウコンセツ、牛の誕生日であるため、一日牛を使役せず、上等の餌を与え休憩させる行事)、チワン語南部方言区の一部の地域では「挿秧節」(ソウオウセツ、師公と呼ばれるシャーマンによる儀礼の後に田植えをする行事)が行われているそうです(塚田2000:58)。また、旧暦の10月10日に一部の地域のみに行われている「十成節」(ジュウセイセツ、豊作を祝う行事)も龍茗鎮ではそれが行われていません。そのほかでも、龍茗鎮で行われていないいくつかの行事がありますが、個別に取り上げないことにします。

 

以下に広西チワン族自治区天等県龍茗鎮で行われている主な年中行事を紹介します。なお、チワン族は漢民族と同様に旧暦が用いられているため、行事の日付もすべて旧暦で記述します。

 

12月23日 θuŋ251 caːw251(ソオン・ザアーウ、かまどの神を天上に送る行事)

かまどの神去勢した雄鶏を殺し、かまどの神に供えます(写真17)。かまどの掃除や必要に応じてかまどの修理を行います。新年を迎える準備を開始します。12月24日に家を大掃除します。12月25日に粽を包む葉っぱを洗っておきます。

 

写真17 チワン族の行事に使う雄鶏です。鶏を丸ごと茹でた後、鶏の血、内臓や糯米のご飯に酒や果物などを加えて神様に供えます。

 

12月30日(小月なら29日)ŋam33 ɗap33(ガン・ダアップ、日本の大晦日にあたる)

各家で掃除をし、赤い紙で書く対聯(玄関の左右に貼り付ける1対のめでたい文句)を貼ります。各家で去勢した雄鶏を殺し、魚・豚肉などの美味しい料理を準備します。料理は必ず食べ残し、「年々有余」(年々ますます裕福になること)の意を表します。夜に家族がイロリを囲みながら、テレビを見たり、来年の計画を語ったりします。女性は粽などを作り、男性は深夜12時になると爆竹を鳴らして新年を迎えます。

 

1月1-15日ɓɯːn31 jiːn415(ブン・ジーン、正月[春節])

1日は日本の初詣のように廟社へ行き神様に線香をあげます(写真18)。この日は人の家を訪問しない上、殺生が禁じられます。

2日か3日は嫁に出た娘が実家に帰ります。実家は鶏やアヒル(写真19)を殺し、豪華な料理で娘たちをもてなします。

2日から5日までの間、年始訪問が盛んに行われます。

正月の期間中、歌の掛け合い、龍舞、獅子舞、子供の爆竹などの娯楽活動が行われていましたが、近年これらの娯楽活動が減りつつあり、その代わりにスポーツ競技が盛んに行われるようになった地域も少なくありません。

 

2月2日  wan31 ŋoːj33(ヴァン・ンゴーイ、土地爺の誕生日を祝う行事)

村単位で資金を集めて豚を買い、これを屠殺して土地爺に供奉し、五穀豊穣·人畜繁栄などを祈願します。各家の代表者が村にある祠堂(土地爺・婆の霊を祀る堂)に行き祭祀に参加します。祭りの後、家ごとに豚肉を等分します。

 

写真18 山にある廟社に初詣をする人々です。広西チワン族自治区天等県龍茗鎮にある八仙山(はっせんざん)にて撮影。

 

写真19 アヒルを鶏のように丸ごと茹でる場合もありますが、脂肪が多い場合、このように焼いて食べます(2019年2月撮影)。

 

2月29日 ɗap33 ʔɤj213(ダアップ・エーイ、小正月)

新年を祝う行事はこの日をもって終わります。草餅(ji:31kɔŋ213 keːt251、ジーゴンゲイ)を作って、これから1年の豊作を願います。

 

3月3日 θaːm451 ŋuːt33 cʰoː451 θaːm451(サーアン・グーウ・ゾーオ・サーアン、墓参する行事)

チワン族の墓参りの日です。漢族はこれを清明節に行います。各家で五色飯を作り、酒、果物、鶏肉などの料理とともに墓地へ持参します。墓前に料理を並べて線香と蝋燭を付け、雑草を刈り墓の上部に石炭で白く塗り紙幡を挿します。爆竹を鳴らし、墓に向って三回礼拝した後、供物を下げて皆でその場で食べます。各家では門の上方の横木と家屋の周囲に楓の枝を挿す習慣があります。墓参の後、青年男女は自発的に歌の掛け合い会に参加していましたが、今は歌ができる若者がいなくなりました。ここ数年、毎年政府の主催で歌の掛け合い会が行われていますが、歌合戦に参加するのは中高年のみとなっています。

 

5月5日 ŋoː213 ŋuːt33 cʰoː451 ŋoː213(ンゴー・グーウ・ゾーオ・ンゴー、端午節)

漢民族の影響によって屈原を記念する行事です。粽を作り、鶏かアヒルを殺し祠堂と先祖を祭ります。

 

6月6日 lok31 ŋuːt33 cʰoː451 lok31(ロック・グーウ・ゾーオ・ロック、礼田節)

穀物の収穫を祈願する行事です。鶏かアヒルを殺し祠堂と先祖を祭ります。さらに、モチを作って畑に行き祭り、田頭に紙幡を挿し紙銭(死者を祭るときに焼く紙で作った紙幣)を焼きます。しかし、同じ村でも農業をやっていない家庭は畑で行事を行いません。

 

7月13日-16日 チワン族が重視する行事、中元節(鬼節)

13日に、この1年に新たに死去した者の霊を祭り、鶏ではなくアヒルを殺し、そのアヒルの血を死者に送る紙袋に撒いてから紙袋を焼きます。

14日には同じくアヒルを殺し、新旧の死者の霊をともに祭ります。

15日か16日に親は豪華な料理を準備し、嫁に出した娘を実家に招待します。呼ばれない場合、実家に戻らない娘もいます。

 

8月2日 wan31 ŋoːj33(ヴァン・ンゴーイ、土地婆の誕生日を祝う行事)

2月2日と同じように行事を行います。

 

8月15日 peːt251 ŋuːt33 θip31 haː213 (ベーエッ・グーウ・スィップ・ハアー、中秋節)

月様を祭る行事です。各家で鶏かアヒルを殺し、夜に月餅や果物を供えて月見をします。

子供たちは紙提灯あるいは(日本の晩白柚のような大きさの)柚子の皮で柚燈(写真20)を持って走り回ります。

 

写真20 中秋節の夜に子供たちがこのような柚燈を持って走り回ります。

 

9月9日 kaw213 ŋuːt33 cʰoː451 kaw213(カーアウ・グーウ・ゾーオ・カーアウ、重陽節)

モチを作り収穫を祝います。豚肉、鶏やアヒルなどを食べます。

 

11月中  toŋ451 cɤj251(トーオン・ザエーイ、冬至節)

各家で豚肉を買って、あるいは鶏かアヒルをつぶして先祖を祭り、家族で夕食を取ります。糯米で湯円(写真21)を作って食べます。

 

写真21 スーパーで買う湯円は中にゴマやピーナツジャムが入っていますが、家庭で作る湯円は糯米の粉でできた団子で餡が入っていません。写真は筆者の実家で作った湯円で餡が入っていません。赤砂糖と生姜で茹でて食べます(2018年11月撮影)。

 

3、娯楽としての歌の掛け合い

チワン族の人たちは昔から歌が好きで、歌の掛け合いを楽しんできました。広西チワン族自治区のチワン族居住地域は別名で「歌の海」とも呼ばれます。歌の掛け合いは各地で一問一答形式で行われています。その中には歴史を語る古い歌もあれば、生産技術を教える歌、季節や収穫を祝う歌、冠婚葬祭の時に歌う歌および酒を誘う歌、恋を伝える恋歌もあります。歌の掛け合いは自らの気持ちを相手に伝える良い方法です。筆者の両親世代(1960年代生)およびそれ以前の世代は1980年代まで恋歌を歌って結婚相手を見つけた人も少なくありません。そのとき、歌の掛け合いは結婚相手を探すのに欠かせない方法だったそうです。

 

しかし、1980年代以降若者が大量に出稼ぎに行ったため、歌の掛け合いに参加する若者が激減し、歌の掛け合いはもはや結婚相手を探すという機能が働かなくなりました。今では、娯楽として農閑期や祝日、冠婚葬祭の時、一部の地域(例えば、苹果県、靖西県、徳保県、福新郷など)で一問一答形式で歌う歌垣が行われていますが、筆者の故郷広西チワン族自治区天等県龍茗鎮では旧暦の3月3日以外はほとんど行われません。

 

歌の掛け合いはほとんどの場合、該当地域の定期市場の日(この日を「歌の市」と呼ぶ)に行われることが多いですが、毎日の夜(写真22、23、24)や農閑期の昼間(写真25)でも行われています。歌われるのは、家や集落に伝えられる歌だけでなく、その場で即興でつくられるものもあります。また、この時歌われる歌は韻を踏んだもので即興で歌を返さなければなりません。歌の旋律は方言区によって異なり、他地域の旋律で歌われた歌詞は聞き取れない場合が多いです。日頃に行われる小さい歌垣は基本的に自分の慣れ親しんだ地域の出身者と歌うため、他人の智恵の勉強や言葉の技芸を楽しむことができます。

 

写真22  2012年2月25日に靖西県の県都で撮影したものです。靖西県の場合は男女両方とも即興の歌を作りながら掛け合いをしていました。

 

写真23  2013年3月10日に筆者が苹果県の県都で歌の掛け合いの録音しているところです。苹果県の場合、男性は「歌書」(方塊壮字に書かれる歌の本)を見ながら歌いますが、女性はそれを聞いて即時に韻を踏んだ歌を作りながら掛け合いをします。

 

写真24  2013年7月14日田陽県の思林鎮にて撮影したものです。苹果県と同じく、男性は「歌書」に頼り、女性は即時に歌を作りながら掛け合いをします。

 

写真25 苹果県県都の公園で昼間に行われている歌の掛け合いです(チワン族の李春建氏2018年11月提供)。

 

歌の掛け合いは一見行われている地域がまだありますが、歌える人の高齢化が進んでいるため、近い将来チワン族の歌の掛け合いも聞けなくなる恐れがあります。今回は歌の掛け合いを簡単に紹介することに留め、歌の中味の紹介やその内容の分析に至りませんでした。実際、管見の限り、武鳴県の歌垣を扱った手塚(2002)を除くと、チワン族の歌の掛け合いを全般的に扱う研究が存在しないため、チワン族の歌の音韻体系や南北の歌の旋律および音韻体系の差異についても解明されていません。チワン族の歌が今後もさまざまな形で歌われ、そしてそれに関する新たな研究が進むことを願っています。

 

参考文献

 

・黄現璠·黄増慶·張一民(編)(1988)『壮族通史』広西民族出版社。

・梁庭望(編)(1987)『壮族風俗志』(民俗文庫2)中央民俗学院出版社。

・手塚恵子(2002)『中国広西壮族歌垣調査記録』大修館書店。

・塚田誠之(2000)『壮族文化史研究―明代以降を中心として―』第一書房。

 

一橋大学大学院 言語社会研究科 特別研究員 黄海萍

 

*写真の無断転載を禁止いたします。

Comments are closed.

世界はことばでできている

[世界はことばでできている]の月別アーカイブ


駿河台出版社 Phone 03-3291-1676 〒 101-0062 千代田区神田駿河台3-7
このサイトにはどなたでも自由にリンクできます。
掲載されている文章・写真・イラストの著作権は、それぞれの著作者にあります。駿河台出版社の社員によるもの、上記以外のものの著作権は株式会社駿河台出版社にあります。 書影を除く書誌情報は、販売・紹介目的に限り利用を認めます。