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【モン語】第2回 ~モンの移住史を語る刺繍布~

2017-09-27

モンは、中国の少数民族ミャオ族のうち、主に貴州省西部から雲南省にかけて居住する人びとです。ミャオ族のルーツは、中国長江流域だといわれています。漢代の『書経』に記載されている「三苗」、あるいは『後漢書』にある「武陵蛮」、また近年では伝説上の神である「蚩尤」を祖先とする説が、モンの人びとに支持されていますが、真偽は定かではありません。しかし、湖南省や貴州省から徐々に南下し、雲南省にたどり着き、19世紀にはラオス、ベトナム、タイへと移動していったことは歴史資料からも明らかになっています。明清代以降、貴州省一帯に大量の漢族が入植してきたこと、またイ族やタイ族土司による圧迫などが、移動の主な要因です。山地で焼畑農業を営むという生業も、移動に適したものでした。

またベトナム戦争によって、アメリカ、オーストラリア、フランスなどにも難民として移住しています。

 

そのベトナム戦争前後の移住の歴史を表現しているのが、ストーリー・クロスと呼ばれる刺繍布です。モン語ではパ・ンダウ(Bangx Ndoub / Paj Ntaub)といいます。直訳すると「花の布」、つまり「カラフルな布」という意味です。一枚の大きな綿布に、人や動物、植物や自然といった具体的なモチーフが、サテン・ステッチの技法で刺繍されています。

 

この刺繍布からは、モンについていくつかの情報を得ることができます。まず、この布自体の成り立ちから、モン自身がいかに歴史に翻弄されてきたのかが分かります。またなぜこのような布の作成が可能だったのかを考えると、モン女性の刺繍能力の高さを指摘することができます。そしてこの布が現在まで受け継がれていることから、モンにとって大きな意味や役割を持っていることが分かります。

 

ストーリー・クロス(筆者所有)

 

まずは、布に描かれている内容をみていきましょう。左上には、モンのルーツであるミャオ族が住む中国があります。中国のシンボルとして万里の長城と、漢族との闘争の様子が描かれています。中心を流れるメコン河を境として、視線を中心上部に動かしていくと、隣国ラオスでの生活が描かれています。トウモロコシを植え、家畜を飼うという農業中心の平穏な生活です。モンのそばで、水田を持ち高床式の家に暮らしている人びとはタイ系民族でしょう。

 

ところが、視線をさらに右に動かしていくと、飛行機やヘリコプターが目に留まります。ここはラオスのロンチェン米軍基地です。1960年代前半に、アメリカCIAによって設立された場所です。モンは山岳地帯に精通しているという理由で、米軍の特殊攻撃部隊としてトレーニングを受け、ベトナム戦争に巻き込まれていきます。1975年に、サイゴンが陥落すると米軍はインドシナから撤退、置き去りにされたモンは、ラオス共産主義勢力から報復されることになります。

 

そのため、モンは命からがらメコン河を渡り、タイに逃れます。それを描いているのが、布の右下の部分です。無事タイにたどり着いたモンは、バン・ヴィナイ難民キャンプに収容されました。そして1976年以降、バンコクから飛行機に乗ってアメリカ、フランス、オーストラリアといった第三国に難民として移住していきます。

つまりこの布は、左上から出発し、時計回りにモンの移住史を描いているものなのです。

 

ストーリー・クロスに描かれたラオス共産主義勢力と対峙するモン(筆者所有)

 

この布が生まれたのは、バン・ヴィナイ難民キャンプです。難民キャンプを支援していたNGOの指導のもと、作成され商品化されたものです。もともとモン女性は、刺繍に長けていました。モン女性は大麻で布を織り、藍によるろうけつ染めなどをおこないながら衣装をつくってきました。しかし、大がかりな道具やまとまった時間がなくてもできる刺繍は、難民キャンプでの不自由な生活のなかでも続けられるものだったのでしょう。また、手を動かすことが、慣れない不安な生活において、癒しや励みにもなっていたことでしょう。

 

従来のモンの刺繍は、衣装を装飾するもので、身近な動植物を抽象化した文様が多く使用されていました。それに対し、ストーリー・クロスは、具体的なモチーフを刺繍することによって、時間の流れ(ストーリー)を分かりやすく示したものだと言えます。

 

ルアンパバーンのモン女性。衣装の襟や帯、上衣の袖部分を刺繍で装飾する(2017年撮影)

 

ストーリー・クロスは、観光客などに販売することによって、難民キャンプ時代はもちろん、現在でもラオスやタイのモン女性にとって現金を得るための商品となっています。一方で、アメリカなど第三国に渡ったモンにとっては、刺繍という技術やそこに表現されている移住史自体が、モンのアイデンティティの拠り所となり、世代を超えて伝えられています。

 

ラオスでは、首都ヴィエンチャンや古都ルアンパバーンで、観光客向けにストーリー・クロスが販売されています。これらは近隣に暮らすモン女性、特に中高年の女性たちが作っています。町でウェイトレスなどの仕事に就ける若者と異なり、中高年の女性たちは、家で作った刺繍布や野菜を売ることで収入を得ています。売れ筋の商品も時代とともに変わります。1m四方の大きな布にきちんとストーリーだって刺繍されている布は、実はそれほど多く並んでいません。作るのに労力がいるし、値も張るからです。主力商品は、ストーリー性のない刺繍がほどこされたバッグやポーチ、クッションカバーなど、安価でかさばらない布小物です。しかしモンの人びとは、他のありきたりな土産物と違って、自分で手作りをしているものを売っていることに誇りを持っています。

 

モン女性はしばしば、刺繍を識字能力と対比させて説明します。曰く、読み書きする代わりに刺繍をする、学校に行っていないから刺繍をする、本を読むようになってから刺繍をしなくなった…。ストーリー・クロスに描かれるのは、象徴化、記号化された歴史です。客観性に足る文字資料ではないため、ここから歴史の真偽や細部を問うことは難しいでしょう。また、ベトナム戦争を直接経験していない中国雲南省では、ストーリー・クロスを製作している人も、販売している人もいません。モン全体からみれば一部の歴史を描いているだけだとも言えます。しかし定型化された図案であっても、文字を持たない、あるいは知らない個人の思いや経験が、運針に表れています。ストーリー・クロスを品定めする機会があれば、ぜひ針の運びに目を凝らしてみてください。刺し手によって、こんなにも違うものかと驚かれることでしょう。もともと文字を持たないモンの個々人による歴史語りの手段が、ストーリー・クロスだと言えます。

 

ルアンパバーンで毎夜開催される観光客向けのナイト・マーケット(2017年撮影)

 

(写真6)ストーリー・クロス風の刺繍をほどこしたバッグ(2017年撮影)

 

 

南山大学 宮脇千絵

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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