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【タイ語】第2回 ~多様なタイ族~

2017-05-26

タイ族の人びとは自分たちを「タイ」と呼びます。また、他の民族あるいは他のタイ族集団と区別するために、居住している地名や、服装、移住の歴史的特徴、移住以前に属していた集団の名前などを「タイ」の後に加えた自称をもっています。

 

徳宏州(ダウコン)一帯は、古代いくつかの王国が勃興しました。15世紀、辺境地域の統治が脅かされた明朝は、「三征麓川」(さんせいろくせん)と呼ばれる大規模な軍事遠征を行い、「土司」(どし)制度によってこの地を10の行政区画に分けて間接統治を実施しました。土司は中国王朝より認められた少数民族などの権力者が世襲で受け継ぎました。人びとは土司が治める地域にアイデンティティをもち、たとえば芒市(ぼうし)土司によって治められていたムンコァン(現在の芒市)の人びとはタイコァン、南甸(なんでん)土司によって治められていたムンディー(現在の梁河県)の人びとはタイディーと呼んでいました。また、徳宏のタイ族は、ミャンマー側に住みビルマ文化の影響を受けたタイ族を南方のタイ、タイダゥと呼び、漢文化の影響を受けた自分たちを北方のタイ、タイヌーと呼んで区別もしました。

 

西双版納州(シプソーンパンナ)では、南北朝時代にルー王国が起こったとされており、この地に生活していた人びとは自らをタイルーと称しました。西双版納という地名は1950年代まで続いていたいくつかの小国連合の政治組織を指すシプソーンパンナー(12の千の田あるいは12の広大な田の意味)の名に由来しています。徳宏州とは異なり、シプソーンパンナは国王(土司)によって12の地域が統治されてきました。その領地はタイやミャンマー、ラオスにも及んでいました。今でもタイやミャンマー、ラオスにはこの地域から移住していったタイルーの人びとが多く暮らしています。

 

紅河州南部には、黒い衣装に由来してタイダム(黒タイ)と称する人びとや、白い上着を着るタイドンあるいはタイカオ(白タイ)という人びとがいます。西双版納や徳宏地域ではタイ族が主要な民族ですが、紅河州におけるタイ族の人口は少なく、そのためタイ族はイ族やハニ族などの文化から影響を受けました。また徳宏や西双版納と異なり、いちはやく「改土帰流」によって土司制度が廃止され、朝廷より派遣された官吏「流官」によって直接統治を受けました。

 

このようにタイ族のなかにも様々な自称や他称があり、地域によって異なる歴史を経てきていることがうかがわれます。古代の中国王朝は、長江以南の広い地域に住む人びとをひとまとめに「百越」(ひゃくえつ)などと称していました。前漢の武帝は百越地域の統治をすすめ、諸侯を破って南方九郡を設置しました。『史書』には、当時雲南西部の「滇越」(てんえつ)と呼ばれる国が記されており、これをタイ系民族の王国とする説もあります。その後、タイ族は歴史書に「茫蛮」(ぼうばん)、「金歯蛮」、「白夷」(はくい)、「百夷」などの名称で記されてきました。現在、漢語では「傣族」(たいぞく)と呼ばれていますが、これは中華人民共和国成立後に実施された「民族識別工作」によって規定されました。また、現在漢語では高床式住居に住むタイ族を「水傣」、漢族と同じような土間式住居に住むタイ族を「旱傣」あるいは「漢傣」、紅河州に住む色鮮やかな刺繍を衣装に施したタイヤーを「花腰傣」と記述することもありますが、最近ではこうした他称を差別的なイメージや一種の蔑称ととらえるタイ族の若者が増えてきました。

 

コンクリートを用いた寺院

 

木材を用いた寺院

 

タイ族というと上座仏教を信仰する民族というイメージもあります。実際には、仏教の伝来や年代、そして教派も地域によって様々です。東南アジアの上座仏教では男子は一生のうち一度は出家して徳を積むという慣行があります。西双版納もその慣行をもっていますが、徳宏州では出家とは一生のものでなければならないと考えられています。徳宏州のタイ族は漢文化を積極的に受容してきた側面もあり、上座仏教寺院でも大乗仏教系の仏様が祀られています。また、紅河州や大理州などに暮らすタイ族は仏教を受容しませんでした。キリスト教やイスラム教を信仰するタイ族の村もあります。

 

上座仏教の伝来にはいくつかの説があり、漢語の歴史書によると隋や唐の時代には布教されていたという説や、タイ語の歴史書によると前漢の時代にはすでに西双版納地域に伝わっていたという説などがあります。上座仏教の伝来と共に東南アジアや南アジアとの文化交流も活発になり、13~14世紀ごろにはすでに西双版納地域のタイルー文字や徳宏地域のタイヌー文字は政務に用いられていました。ただし、文字の用途は非常に限られており、一般的には上座仏教の教義を伝えるために用いられてきました。そのため文字を読み書きできる人は限られていました。これら2つの文字は明朝に設置された「四夷館」(しいかん)において翻訳され、漢語との対訳辞書も編纂されました。

 

寺院にて礼拝する老人たち

 

寺院に祀られた大乗仏教系の仏像

 

各地でそれぞれの歴史を経ていったタイ族ですが、今も基層の世界観を共有しています。万物にはピーという霊やコァンという魂が宿るとみなすアニミズムの世界観です。人は体の各部位や感覚に120以上の魂を宿していると考えられています。体調を崩したり、気分が落ち込んだりしたとき、魂の一部は抜けてしまい、ときにシャーマンや僧侶に頼んで魂を呼び戻してもらったりします。ピーのなかには悪い鬼や、田んぼのピー、川のピー、山のピー、様々な動物のピーがあり、死んだ人や祖先もピーとなります。盆地(ムン)や村(マーン)はそれぞれ強大なピーに守られているとされ、村々では毎年供物を捧げて祭祀を行います。各地のタイ族社会には地理的、歴史的な隔たりもありますが、現在も多くの共通した習慣や価値観をみいだすことができます。

 

京都文教大学・日本学術振興会特別研究員 伊藤悟(いとう さとる)

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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