中国西南や東南アジアには、その場で詩を編み、他者に歌い掛ける即興うたの文化が今も伝えられています。ひと昔前まで、若い男女は労働の合間や夜の休息時などに恋の掛け合いうたを交わしていました。タイ族の社会にとって、即興うたは単に娯楽であるだけでなく、宗教活動や社会生活とも深いかかわりがあります。
西双版納州のタイルー社会には、カプルーと呼ばれる即興うたがあります。カプとはことばやうたを意味し、ルーとはタイルーのことを指します。カプルーは、徒弟制によって受け継がれ、修練を積んだ職能歌手ザンカプによって歌われてきました。ザンカプは上座仏教寺院での儀礼をはじめ、結婚式、新築式、村の守護霊祭祀など、様々な機会に招かれます。一人の男性が演奏するフリーリード管楽器ビーの伴奏にあわせ、男性と女性のザンカプが扇子を扇ぎながら、掛け合い形式で即興のうたを歌います。中国では国家級の非物質文化遺産(無形文化遺産)に認定されていますが、残念ながら歌手もうたの機会も減少しており、継承の危機に瀕しています。
ちなみに、西双版納州と歴史的にもかかわりのあったラーンナー王国が栄えたタイ王国北部にも、カプルーの形式に似たカプソーと呼ばれる伝統芸能があります。3~5人の大小さまざまなビーの伴奏にのせ男女の職能歌手チャンソーが即興うたカプソーを掛け合います。こちらは現在も若い職能歌手たちが育っており、毎日のようにどこかでパフォーマンスが行われています。
チェンマイの職能歌手チャンソーのパフォーマンスの様子
特殊な訓練を経てうたの職能者となるザンカプやチャンソーとは異なり、多くのタイ系民族の村々では、かつては誰もが即興うたを身につけ、うた遊びに興じたものでした。徳宏州のタイヌー社会では、今でもお祭の会場の内外で、カームマークという即興うたに興じる大人たちを見かけます。80年代以前や文化大革命以前は、若い男女なら誰でも歌うことができ、掛け合いうたを通じて結婚相手に出会うことも多かったそうです。特殊な訓練を行ったという人はおらず、皆一様に小さい頃から兄や姉らのうたを聴いて真似し、うた遊びをしながらその技法を学んだと言います。
カームマークは即興的に歌われますが、はたから見ても複雑なルールがあります。俳句のように音数律は決まっていませんが、前句と後句で語彙を変えて似た内容を歌い、二句のあいだで押韻する必要があります。メロディーはことばの声調の上下運動に対応していますが、音楽的旋法の制約も受けます。両者の相互制約的関係のなかで展開するため、たいてい話しことばをそのまま歌にしようとしてもメロディーが成り立ちません。うたにするためには、通常とは異なった文法になり、個々の単語や主語述語などを倒置したり、同義語を並列したり、歌詞のなかで意味をもたない語彙を挿入して調整したりします。
うたに興じる人びとの様子を観ていると実に自然に歌っていますが、こうしたルールを理解していないと、うたを聴いても内容を理解することができません。そのため、漢語教育を受ける現代の若者にとって歌詞を聴き取ることは大変難しいのです。
掛け合い歌にうたに興じる徳宏タイ族の女性たち
娯楽として興じられることの多い即興の掛け合いうたカームマークですが、実は、若い時代のうた遊びは、より複雑で洗練されたことばの芸術的世界へ入るための練習でもありました。タイヌー社会には独自の文字が伝わっており、タイヌー文字で書かれた書物がたくさんあります。その多数は上座仏教と関連しており、仏の教えを説く内容や仏教関連の物語など様々です。それらの書物のほぼすべてが、カームマークと同じような詩文で書かれており、さらに書物を読む際には歌うように朗誦するのが習慣となっています。
うたはその場でとっさに歌詞が編まれ歌われます。それに反し、書物は推敲を重ねた洗練された詩文で書かれています。そのため、書物の朗誦内容を理解するためには、集中して聴く必要があり、カームマークの基礎があることで、はじめてその詩文の意味、さらにはことばの美しさ、響きの心地よさを味わうことができるのです。
このほかにも、口頭で唱えられる様々な呪文や、祝福のことばも詩文と同じです。また、シャーマンは、病人の魂の召喚や死者の口寄せや、死者や祖霊や悪霊の供養の際に、即興うたの技法を用いて超自然的存在と交信し、その過程を人びとに聴かせます。そのため、うたの基礎を身につけていないと、シャーマンが伝える状況を理解することができません。このように、即興うたを歌えること、聴き取れることは、村の社会生活において必要不可欠な基本的能力なのです。
徳宏タイ族シャーマンによる儀礼の様子
こうしたうたを通じたメッセージのやり取りは、別のかたちにも応用されていました。それは楽器など音を通じたイメージのやり取りです。中国で有名な少数民族の楽器というと、ひょうたん笛(葫蘆絲、フルス)があります。ひょうたん笛は、もともと徳宏州やミャンマーのタイ系民族のあいだで、男の子が女の子に恋心を伝えるために演奏されていた楽器でした。かつてひょうたん笛で演奏する曲といえば、即興うたのカームマークでした。夜になると、男の子たちは想いを寄せる女の子の家の前で笛を吹きました。村々に伝わる古い歌詞を用いたり、現場で歌詞を編んだりして、そのメロディーを演奏して女の子に伝えました。旋律には歌詞がこめられており、聴く人はそれを理解することができたと言います。そして、女の子はランプの灯のもとで機を織り、織りの音を返しました。徳宏州の織機は他の地域と異なり、織りの動作と連動して部品に使われている竹や棒がぶつかり合って心地よい音を響かせます。楽器やうたのように言語的メッセージを伝えることはできませんが、様々なテクニックを駆使して織機の音で、織り手の人となりというイメージを表現しました。
うたは、ことばによってメッセージを伝達し、音楽的な声によってイメージを彩ります。タイ族の人びとはさらにそうした会話のようなやり取りを応用して、音の力を巧みに操ってイメージを交わし合い、そこから様々なメッセージをすくい上げる文化的な感性を育んできました。
徳宏州の村にてひょうたん笛を習うタイ族の子供たち
徳宏タイ族の織機
京都文教大学・日本学術振興会特別研究員 伊藤悟(いとう さとる)
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