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【チワン語】第4回 ~チワン語とチワン文字の現在と未来 ~

2019-05-07

39チワン語の現在と未来
チワン族の言語であるチワン語の話者人口は約1380万人で、チワン族の人口(約1700万人)よりも約300万人以上少なくなっています。そのうち北部方言の話者数は約900万人で、南部方言の話者数は約400万人だと言われています(広西壮族自治区言語文字工作委員会審定2005:4)。チワン語の話者人口はいまだ一千万単位の規模なので、チワン語は「危機言語」と無縁だと思われるかもしれません。

 

しかし、現在広西チワン族自治区でチワン語を実験的に学校教育に取り入れているのはチワン族のごく一部だけで、その他のチワン族はすべて漢語(この原稿でいう「漢語」は中国語の「普通語」と同じ意味で使います)で授業を受けています。近年、国家の共通語として漢語を積極的に普及させた結果、現地住民の99%がチワン語母語話者の県(靖西県)ですら漢語への言語転移現象が起きていると指摘されています(吉川2012:28)。また、黄南津等(2018)の調査によると、チワン族が集住する大新県では81%の人が流暢に漢語が話せるのに対して、流暢にチワン語が話せる人は71.5%で、靖西県では68.6% の人が流暢に漢語が話せるのに対して、流暢にチワン語が話せる人は59.3%だそうです(黄南津等2018:94-95)。

 

2012年9月、筆者は靖西県の県都にあった幼稚園を訪ねました。標準チワン語は看板上(写真1)の漢字と併記していますが、チワン族出身の生徒が90%以上を占めていた同幼稚園における語学教育は漢語及び英語でした。校門で送り迎えの風景を見たところ、親子の会話は漢語で行うものが多いようでした。写真から分るように幼稚園はチワン語より普通語の方を重視していると言えます(写真2)。

 


写真1 正門の看板「靖西県第一幼稚園」。看板の漢字の右側はチワン語のように見えますが、漢字の発音をチワン語の発音と文字で綴っただけのものであって、チワン語の意味が示されているものではありません。

 

写真2 幼稚園内の掲示板も漢語を奨励、強調している。
「漢語標準語を上手に話して皆の意思疎通をはかろう」

 

さらに、最近十数年間、漢語による義務教育や積極的な推進、テレビメディアなどの普及によって、チワン族の教育・言語・生活環境が変化しつつあります。チワン族の子どもはほとんど学校に入って義務教育を受けるが、その教科書や学校での言語は漢語です。そして、中学校や高校を卒業した後は出稼ぎや就職をすることになるが、その場合共通語とする漢語で生活し、漢民族社会に溶け込んでゆくことになります。農村部に残ったチワン族同士の会話はチワン語ですが、見ているテレビ番組は漢語によるものです。こうしたことによって、チワン族の子どもは学校だけではなく、家庭内でも漢語環境があるため、チワン語を話す・聞く機会が減っています。チワン語の使用人口はこのような背景のもと、今後は、10数年前よりも早いスピードで減少していくだろうと予測されます。

 

チワン文字の現在と未来
現在、広西チワン族自治区で使われている『壮文方案』(チワン文字方案)は1957年11月に中国国務院(日本の内閣に相当)によって公認され、1982年に更に修訂されたものです。さまざまな行政の公文書や出版物をチワン語へ翻訳するときに使用されますが、十分に普及していないのが現状です。2018年5月31日に承認され、2018年8月1日から執行すする『広西チワン族自治区少数民族言語文字工作条例』(以下、『条例』)の十三条によって、チワン文字は広西チワン族自治区において政府機関、公共機関および公共団体の看板や印鑑、広西チワン族自治区人民政府のウェブサイトや政府新聞の名前、チワン族が集住する地域の人民政府のウェブサイトや政府新聞の名前などに付けることが義務づけられていますが、写真2でみたように、あくまで漢字の看板におまけとしてついているような状況です。実際、この『壮文方案』の表記はあまりにも漢語ピンインに似ているため、しばしばチワン語の表記を間違った漢語ピンインと誤解する市民がいるとニュースに取り上げられたこともあります。例えば、写真3のように上のアルファベット表記はチワン語(NANZGENLU)、次に漢字、漢字の下には漢語のピンイン(NANJIAN LU)が表記されています。チワン語で「道路」を表す単語が「LU」ではなく、「LO」で、チワン語の語順に従えば、南建路を「LO NANZGEN」にした方がわかりやすのです。

 

写真3 チワン語、漢字、漢語のピンインによる道路標識
http://news.gxnews.com.cn/staticpages/20090728/newgx4a6f0700-2185003.shtml
(2019年4月25日10:29に取得)

 

こうした例とは別に、近年、広西チワン族自治区のシンボルとして区都である南寧市内の地下鉄の駅名に英語と漢語の看板にチワン語を併記するようにしていますが(写真4、5)、車内放送においてはチワン語が使われていません。しかし、写真2や3の例とは異なりせっかくチワン語が書かれていても、このチワン語の看板を読める人はあまりいないと思われます。なぜならば、黄南津等(2018:72)のサンプル調査によれば、チワン族の79.1%が問題なく漢字を読めるのに対して、『壮文方案』のチワン文字を知っているチワン族の割合はわずか6.2%です。今後、このチワン文字がどの程度普及するかの見通しも明らかではありません。

 

写真4 漢字の上にある表記は『壮文方案』に基づくチワン語表記です。チワン語の語順に従って、修飾語が被修飾語の前におきます。Camhは「駅」、Langsihは「埌西(ランシ、地名)」です。

 

写真5 左側から右へと英語、漢語、チワン語の順番で表記しています。これも『壮文方案』に基づくチワン語表記で、チワン語の語順に従っています。

 

チワン語によるメディアの現在と未来
連載第1回でも述べたように、標準チワン語を表記する『壮文法案』による新聞『広西民族報・壮文版』(Gvangjsih Minzcuz Bau)や隔月刊誌『三月三』(Sam Nyied Sam)(写真6)が今でも発行されています。

 

『広西民族報・壮文版』は広西民族報のウェブサイド(http://www.gxmzb.net/zw.htm)を通して読むことができますが、ほとんどの記事が漢語版からの翻訳です。そのため、数多くの造語や漢語からの借用語が使用され、標準チワン語を習得したチワン語のネイティヴでも漢語の知識がなければ理解が困難です。『三月三』(2016年〜2019年現在分)もまた広西民族報のウェブサイト(http://www.gxmzb.net/node_139.htm)を通して読むことができます。雑誌には政府機関に関する記事や報告書の翻訳を除いて、短編小説、散文、物語やチワン族の歌、漢語の詩や文学作品の翻訳が掲載されています。翻訳の場合、原文が付いています。そして、翻訳ではない作品のほんの一部に漢語の訳がついている場合があります。また、『広西民族報・壮文版』と異なって、造語や訳語が使用される場合、かっこ付きで漢語の原語が示されるときもあり、『広西民族報・壮文版』よりも読みやすい特徴があります。しかし、読者がどのぐらいいるのか現段階では明らかにしていません。しかし、前出の『条例』の第十九条において、広西チワン族自治区の各級人民政府が少数民族の言語・文字による翻訳、出版物や映像作品の出版などを支持することを明記されています。従って、新聞『広西民族報・壮文版』および雑誌『三月三』は自治区の予算で少なくともここしばらくは発行され続けるかと思われます。

 

写真6 チワン語雑誌『三月三』(Sam Nyied Sam)の表紙

 

管見の限り、チワン語によるテレビ放送は自治区レベルのテレビ局で行なわれていません。しかし、チワン語によるテレビ放送はチワン語南部方言地域の天等広播電視台が一部の番組で行なっています。

 

その番組とは、2016年12月1日にチワン語南部方言地域にある天等県、靖西県、徳保県、那坡県からなる4つの県が同立ち上げた『西徳那天』(写真6)というものです。この4つの県のチワン語がお互いに通じるため、各県のニュースはそれぞれの方言により放送されてもお互いに理解できます。毎回の放送内容は各県から1つずつのニュースで、放送時間は10分から20分程度です。このチワン語放送の番組は天等広播電視台のWechatラットフォーム(中国では「微信公众号」という、写真7)で観たり、Googleで「日付+西德那天」で検索して観たりすることができます。

 

しかしながら、この番組はインターネット放送なので、一般家庭のテレビで観ることができません。その視聴者はスマホやWechatを使用する者でなければ、いつでも番組を観ることができないという弱点があります。従って、スマホやWechatを使わない年配者はこの番組と無縁になります。一方で若者は毎日漢語のニュースを通して情報得ているため、わざわざ2日あるいは3日おきに更新するチワン語の番組を観る人がどのぐらいいるのか、疑問に思います。

 

筆者はよくこのニュース番組を観ますが、ニュースは漢語の原稿をチワン語で読むような印象を受けました。あまりにも漢語語彙が多く、またチワン語の文法に従わない表現が使われているせいか、この番組はもはやチワン語の番組でなくなり、チワン語と漢語が混ざった不思議な言語で放送されているように思われます。この番組を観るたびに、チワン語南部方言地域にある天等県、靖西県、徳保県、那坡県のチワン語が今後どう変化していくのか気がかりです。

 

写真7 天等県、靖西県、徳保県、那坡県からなる4つの県が立ち上げたチワン語のテレビ番組『西徳那天』です。番組は2日か3日おきに更新されます。

 

写真8 天等広播電視台のWechatラットフォームで観る『西徳那天』です。番組の下に各県のニュースの見出しが漢語で書いてあります。番組の字幕も全て漢語です。

 

結びに代えて
筆者はチワン語天等方言の下位方言の一つである龍茗方言の母語話者です。言語学的に記述された歴史がほとんどなかった龍茗方言を解明し、博士論文(黄海萍2018)においてもその表記法を考案してみました。しかし、長い間地元のニュース番組『西徳那天』を観てきて思うのは、筆者の提案した表記法が実用化される可能性についてです。筆者には、後ろ盾があるわけでもなく、龍茗方言話者コミュニティーに表記法を教授するだけの人的、経済的余裕もありません。さらに今日、龍茗方言を含む天等諸方言は農村部においてさえも若年層に継承されなくなってきたと危惧されています。 加えて、携帯電話の普及によって、チワン語方言よりも漢語の利用が優勢になっています。

 

もし今後、筆者が提案した表記法を用いて、方言辞書、文法書、語彙集、民話、民謡などを書記化でき、書き言葉としての龍茗方言が徐々に定着する可能性があれば、他のチワン語諸方言の話者コミュニティーの成員が自らのチワン語方言を書くあるいは見直すきっかけとなるのではないかと、思っています。

 

チワン語のように文献資料に乏しい言語は、どのような歴史を経験してきたかを解明するのが困難であり、現代において十分な記録がなされなければ、その言語の様相を研究することがほとんど不可能となります。したがって、チワン語の調査や研究に取り組むことは研究者の責務であり、もはや一刻の猶予も許されないと筆者は考えます。また、もっと多くのチワン語の母語話者が自らの言語に関心を持つようになれば、チワン語には明るい未来があるかもしれません。

 

参考文献
・吉川雅之 (2012) 「非国家語のラテン文字表記法 : 中国の壮語 (チワン語) の事例」 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻 編『Language information text 19』 27-55.
・広西壮族自治区語言文字工作委員会審定(2005)『広西語言文字使用問題調査与研究』広西教育出版社.
・『広西チワン族自治区少数民族言語文字工作条例』2018年05月31日 17:31
http://www.gxrd.gov.cn/html/art161267.htmlにて公表されています。
・黄南津等(2018)「広西壮族自治区国家通用言語文字使用状況調査研究」社会科学出版社.
・黄海萍(2018)『チワン語龍茗方言研究』博士論文、一橋大学大学院言語社会研究科.

 

一橋大学大学院 言語社会研究科  博士研究員 黄海萍

 

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