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【トン語】第1回~トン語とは~

2016-08-25

トン語とは

トン語(侗語)は、中国の少数民族のひとつであるトン族(侗族)によって話されています。トン族は、人口およそ287万人(2010年)、その半数以上にあたる160万人が中国貴州省に住み、ほかにも、湖南省、広西チワン族自治区、湖北省の、水源が豊かな山間部に居住しています。トン族の人々は、日常的にトン語を使用しますが、漢語による学校教育の普及によって、多くのトン族が、漢語(漢民族の言語。いわゆる中国語のことで、その共通語が「普通語」と呼ばれる。)も日常的に使用可能です。一般に、漢語に接する機会の多い、大都市に近い地域に住む人、都市部に住んでいる人、仕事をしている人、高等教育を受けた人は漢語を話せますが、お年寄りや女性、子どもの中にはほとんど漢語を使えない人も数多くいるとされています。そのため、トン族居住地区や漢語があまり使われない地区では、小学校などの学校教育においても、漢語と並行してトン語を使った授業が行われています。

 

言語の分類には様々な見解がありますが、トン語はタイ=カダム語族カム=タイ語派のうち、カム=スイ諸語というグループに属する言語であるとされます。これは、東南アジアから中国南部で話される言語の系統で、漢語や日本語とは全く異なる言語系統です。さらに、トン語は大きく南部トン語と北部トン語というふたつの方言に分けることができます。南北の方言の語彙や文法には大きな違いはありませんが、発音や声調(音の高低)には、はっきりとした違いがみられます。

 

祭りの時のトン族の女性

祭りの時のトン族の女性・貴州省黎平県岩洞鎮(きしゅうしょう・れいへいけん・がんどうちん)

 

トン語の文法・発音

トン語の基本的な語順はSVO(主語―動詞―目的語)であり、これは漢語や英語の語順と同じです。しかし、トン語では修飾語が被修飾語のあとに付くため、例えば「私たちの村」というときには「村―私たち(xaih daol)」という語順になるという特徴があり、慣れないと学習初期は戸惑うこともあります。この、修飾語が被修飾語のあとに付くというのは、トン語も含めたタイ=カダイ語族の特徴でもあります。

 

トン語の音節は子音と母音(母音のみ、または母音に音節末子音がつく)に声調を加えた三要素で成り立っています。声調は、アルファベット表記ではl、p、c、s、t、x、v、k、h、という9種類の声調記号で表されます。声調をさらに細かく分類する考え方もありますが、基本はこの9種類です。また、地域による声調数の違いは大きく、9個と7個と6個、三種類の声調地区があるとされています。声調は最大で9個あり、それより声調数が少ない場合は、音の高低が近い声調がひとつに統合されています。

 

トン語の表記方法

トン族は、もともとトン語を表記するための独自の文字を持たず、民族の叙事歌や伝承は口頭で伝えられてきました。トン語を文字で記録する方法としては、漢字を用いてトン語の音を表すという「万葉仮名方式」の表記法が、長く民間で用いられてきましたが、統一された表記規範があるわけでもなく、各人各様に記述するため、書いた当人以外は読むことが難しいといった問題もあり、トン族共通の表記法とはなりませんでした。1950年代にローマ字を用いたトン語音の表記が作られ、その後何度かの修正を経て、現在も学校教育を通しての普及が進められています。トン族の古歌や民間伝承をこのローマ字表記で記録した本も多数出版され、民族の文化的遺産を保存する意味でも重要な役割を担う文字方式ですが、これを正しく読み書きできる人は、教師としてトン語表記法の訓練を受けた人などに限られ、まだ少数です。

 

トン語によるトン族の自称は「gaeml(jaeml)」です。トン族の人のことは、「人」という意味の「nyenc」と合わせて「nyenc gaeml(トンの人)」といいます。この「gaeml」は方言の変化によって発音は少しずつ異なりますが(jaemlもgaemlも発音は近い)、各地でトン族の自称として一致した語です。これまで多くの研究者たちが、トン語の同音の語や近似した音の語から、「gaeml」がどのような意味であるのかを考えていますが、はっきりとした結論は出ていません。もともと文字を持たなかったトン族の言葉を、ローマ字による表記方法をつくったときにその発音を文字化して分類しているので、記録者によってローマ字表記が異なったり、話者によって発音が異なったりすることもあります。トン族の自称は、表記としては「gaeml」や「jaeml」と書かれますが、他にも表記は違うけれど「gaeml」や「jaeml」と似た音になる単語が数多くあるため、それらの中から、トン族の自称のもとの意味が探られています。これまでに出された考えのなかで、多いものとして、木の枝(gamv)、覆い(gaeml/gaemv)、洞穴(jemc)など、おおよそ共通して、「gaeml」とは、トン族が昔住んでいた自然環境を表す語がもとになっているというものがあります。これらの語は発音が皆近いというだけでなく、その言葉に含まれた意味も遡っていくと、比較的近い意味になるといわれています。

 

トン語と漢語の関係

トン族は長い間、漢民族の他にミャオ族、ヤオ族、チワン族、スイ族といった他民族と混じり合って居住してきました。そのため、こうした他民族の影響、とりわけ漢民族の影響は大きく、言語においても漢語の影響を数多くみることができます。長年にわたる交流によって、数え切れないほどの漢語がトン語に吸収されてきました。こうした借用語は、その発音から大きく分けて、早期の漢語からの借用語と現代漢語からの借用語の二種類があり、ほかにも数は多くありませんが、この二期以外の漢語音も入ってきています。例えば、学校という意味の「学堂」という言葉に、「dangc hagx」「dangc yot」「dangc xot」という三種類のトン語があてられていますが、これらはそれぞれ異なる時期の漢語借用語です。つまり、「学」という漢字の読みが「hagx」「yot」「xot」と三種類入ってきているわけです。大きく分けて、トン語の漢語借用語の中には、現代中国語(北京語)の発音と近いものと、古中国語との共通性を多く残す広東語の発音に近いものとがあるため、広東語と北京語の話者にとっては、馴染みのある語(発音)が多く見られるはずです。

 

春の岩洞

春の岩洞・貴州省黎平県岩洞鎮(きしゅうしょう・れいへいけん・がんどうちん)

 

筆者が、まだトン語を勉強し始める前のことですが、「打招呼(あいさつする)」時にどのような言葉があるのか、トン族の村でたずねたことがあります。「nyac lail」が「你好(ニーハオ。こんにちは。)」の意味だとのことでしたが、「nyac」は「你(あなた)」で、「lail」は「好(よい)」という意味なので、この挨拶言葉は漢語の言い方から来ているようです。また、「我爱你(わたしはあなたを愛している)」はトン語で「yaoc ail nyac(わたし―愛する―あなた)」と言うのだとも教わりましたが、後で辞書を調べてみると、トン語に「ail」という語がみつからなかったので(トン語で「愛する」はbeenc、bincと言います)、この「ail」は漢語の「爱」の借用語のようです。若い人は特に、漢語を日常的に使用できる人が多いこともあって、自然に漢語を取り混ぜて話すことができるのでしょう。

 

渡邊明子

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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