ナシ族の居住地の中心である中国雲南省の麗江市では、近年、急速な観光地化が進行しています。1996年の夏、筆者が初めてこの地を訪れた頃には、麗江はまだ中国の田舎町の風情を残していました。到着の初日、筆者は新市街の福慧路という通りのホテルに泊まりましたが、今では流行の先端を行くこの通りも、当時はまだ舗装されておらずほこりが舞い、薄暗い鄙びた食堂がいくつかある程度でした。その後、1997年12月に麗江の旧市街はユネスコの世界文化遺産に登録され、それ以前から始められていた観光開発は急激に進みました。観光客は年々増え続け、大型連休ともなれば、旧市街の石畳の通りは人で埋め尽くされ、まともに歩くこともできなくなりました。ナシ族が住んでいた伝統的な木造家屋は、漢民族など外から来た商売人が経営する土産物店や旅館に次々に改装されていきました。一方、新市街では古い建物が次々と取り壊されて建て替えられ、ほこりっぽかった福慧路には流行最先端の店舗が立ち並ぶようになりました。
のんびりとした風情の新市街。この手前で福慧路とつながる(1996年)
こうした観光開発の中で、筆者がかつて3年間を過ごした旧市街では、ナシ族の人口が急激に減っていきました。彼らは外から来た商売人に建物を売ったり貸し出したりして、そのお金で郊外のアパートに移り住んでいきました。2014年の夏に歩き回って見た限りでは、麗江の旧市街には、もうナシ族はほとんど住んでいないと思われます。それに代わって、旧市街の中心部には大音響の音楽を垂れ流して客を呼び込むバーや、暗闇で肌を露出した女性が踊る怪しい店まで現れました。「旧市街はもうめちゃくちゃ。住むにはうるさ過ぎるし、治安が悪い。子供の教育にも良くない。」というのが、ナシ族のある友人の言葉です。
ナシ族の生活の場であった旧市街(1996年)
最近では、「国連が麗江を壊した」という言葉すら、ナシ族の口から聞かれるようになりました。消えてしまった故郷の面影を求めて、1990年代の初めにイギリスのチームが撮影した麗江のドキュメンタリー映像を見ながら、かつての旧市街の様子を懐かしんでいるナシ族もいます。文化遺産の保護のための「世界遺産」という看板が、ナシ族のコミュニティーの生きた「文化」をズタズタに壊してしまったのは、皮肉としか言いようがありません。この連載でこれまでご紹介したナシ族の文化も、現在、麗江の中心地ではなかなか見られないものとなっています。ただ幸いなことに、ほとんどの観光客が訪れるのは麗江の中心地(特に旧市街)ばかりであり、ナシ族が移り住んで行った新市街のアパートやその周辺、また市街地を取り巻く広大な農村部では、まだナシ族の生きた文化が息づいています。ナシ語やナシ族と触れ合いたければ、むしろそちらを訪問した方が良さそうです。
旧市街の中心である四方街は、国内観光客であふれかえる(2014年)
急激な観光地化と現地の人口構成の変化は、ナシ語やナシ族の文化が急速に失われるという危機感をナシ族の中に引き起こしています。1990年代の終わりから、ナシ族独特の宗教文化であるトンバ教やトンバ文字を、ナシ族の子供達に伝承しようという運動が様々な形で始まりました。そして、ナシ族の文化の根底にあるナシ語も、このままでは次の世代に伝わらないのではないかという思いから、ナシ語を小学校の教育の一部に取り入れるようになりました。しかし、ナシ語の授業時間はまだ少なく、教材も十分に整ったものではないため、ナシ語を表記する文字は未だに十分に普及していません。
現在、むしろナシ語の未来を感じさせるのは、ナシ語を用いた音楽やテレビ番組です。2005年頃から、麗江ではナシ語で歌うポップミュージックが次々と作られ、多くのアーティストが登場しました。麗江の街中のあちこちで、それまでの退屈な民謡とは一線を画した生き生きとしたナシ語の歌声が聞かれるようになったのは大きな変化です。また、映画やテレビドラマのナシ語の吹き替えも、以前より盛んに作られるようになりました。2011年に公開され、中国全土でブームを巻き起こした『木府風雲』というテレビドラマは、明代のナシ族の土司、木氏の一族を題材にした全40回にわたる長編歴史ドラマで、放送直後から中国全土でブームとなり、麗江ではナシ語の吹き替え版も作られました。さらに、以前には見られなかったナシ語を使ったテレビ番組も定期的に放送されるようになりました。『納西講究営』(Naqxi jaijul yi、ナシキャキュイ=ナシ語で話すのは味わいがある)というタイトルの番組では、現在のナシ族を取り巻く様々な話題をめぐって、司会者とゲストがナシ語で話しながら番組を進行していきます。
長編歴史ドラマ『木府風雲』のポスター
ナシ語番組『ナシキャキュイ』の一場面
最近では、スマートフォンの掲示板にナシ語の音声メッセージを吹き込むことが一部のナシ族の間で行われており、これは技術の革新により、表記する文字が十分に普及していないナシ語の限界を乗り越えたものとも言えるでしょう。あるお酒の席で、ナシ族の友人が筆者にスマホを渡し、「さあ君もナシ語で何か吹き込みなさい!」と言われましたが、かなり飲んでしまった後だったので頭が回らず、しどろもどろの録音になってしまいました。
國學院大学 文学部外国語文化学科 黒澤直道