日本で地方の方言が失われていっているように、プイ語も現在衰退しつつあります。第1回で紹介したアルファベット表記式プイ語文字の基準音が取られている望謨県はまだプイ語が圧倒的に強く、他民族がプイ語を話すことすらありますが、こうした地域に暮らすプイ族も含めほとんどのプイ族は漢語が使えます。そして、ほとんどの地域でプイ語の使用頻度は下がっており、若いほどプイ語が話せず、場合によってはプイ語を聞き取れもしないという状況が生まれています。特に貴陽市など比較的大きな都市がある地域では、60~70歳以上の高齢者以外プイ語を話せる人がいない状況もあるようです。
民族文化全般についても同様で、若い世代を中心に、プイ族文化に無関心な層が広がっています。私が貴州大学で知り合った日本語学部のあるプイ族学生(当時)も、今から10年以上前の時点で「プイ族だけどプイ語はわからないしプイ族の文化については全然知らない」と言っていました。彼女はアニメで日本語を学んでいたので、実際にプイ語より私が話す関西弁のほうがよく理解できるようでした(おかげで私はとても助かりましたが)。
プイ族の伝統文化が廃れていく趨勢に対してはかなり以前から危機感が持たれてきました。そうしたなか、1988年設立の「貴州省布依(プイ)学会」を皮切りに、貴州省各地にプイ族文化の研究と振興を目的とする「布依学会」が設立され、多岐に渡る活動を展開しています。私が貴州省で調査していた2004年から2010年にかけても、プイ族の文化を保護・振興する動きがさまざまに見られました。無形文化遺産については2011年に「中華人民共和国非物質文化遺産法」が公布され、さらに保護政策が強化されているようです。「中国布依網」(https://www.zgbyz.com.cn/)という、プイ族文化関連ニュースを掲載しプイ族文化を幅広く紹介するためのポータルサイトが2018年に公式に開設されたのも、プイ族文化を守ろうという流れと連動してのことでしょう。
2016年に雲南省河口ヤオ族自治県で開かれた非物質文化(=無形文化)遺産の伝承と保護を議論する会議の論集によると、貴州省各地の県で布依学会や各県の当局が主体となって、プイ族が伝えてきた無形文化遺産の調査研究が行なわれ、無形文化遺産の伝承者を認定したり、無形文化遺産データベースが作られたり、プイ族文化を振興するためのイベントが開かれたりなど、各地でさまざまな文化振興策が取られてきているようです。そこで一様に課題として挙げられているのが、資金や人材の不足、そして観光を中心とした産業化の困難さです。
世界中のほとんどどこであっても同じだと思いますが、ここ中国でも少数民族の文化復興と観光化は切り離せません。西洋的な人権概念と距離を取っている中国において、「少数民族の権利」として民族文化が振興されることは基本的にありません。むしろ「中華民族の多様な文化のひとつ」として、そして実質的には「貧困地域の開発と経済発展に資する観光資源」として民族文化の保護が図られていると言ってよいかと思われます。
貴州省において、ミャオ族やトン族といった有名(?)少数民族では村ごと観光化されている例がいくつもあります。そうした村々では、観光客が入り口で歌と酒で歓迎され、伝統的な建築物を見学したり、歌と踊りを広場で見たりして楽しむことができます。
プイ族はこうした民族とは違い、観光化に対してさほど熱心には見えない、あるいは少なくともミャオ族ほどうまくいっているようには見えません。ミャオ族の郎徳上寨のような有名観光地もありません。それでも、鎮寧県にある石頭寨と、貴陽市郊外の花渓区にある鎮山村がかろうじて観光化された村と言えるかと思います。どちらも貴州省独特の石板で作られた町並みが目を引く場所です。ちなみに貴州省はカルスト地形で石灰岩の石板が豊富に取れるので、省内には他にも石板葺きの家が建ち並ぶ村がいくつもあります。
なかでも鎮山村は1992年に村民の意向と無関係に政府のほうで博物館構想が持ち上がり、紆余曲折あった後、2000年には中国とノルウェーの文化協力国際プロジェクトとして伝統文化を保存する「生態博物館」に選定された村です。もともとは農村だったこの集落ですが、ダム建設で農地が沈み村も分断されて農業が衰退し(対岸に移った村は別の村になっています)、それと並行して観光業が盛んになったため、現在は観光が主な産業になっています。そうしたなか、伝統的な文化は様々な形で観光客に「見せる」ためのものへと形を変えていっているようです。
私も2004年に1回、2010年に2回鎮山村を訪れたことがありますが、徐々に観光客向け設備が整えられていっており、村の祭りが舞台中心のイベント化している様子を見ることができました。例えば2010年2月に見に行った「鎮山跳花節」では区の文工団を含め、鎮山村の外から参加したさまざまな団体が演目を披露していました。
他の村でも、民族文化振興と観光振興を兼ねて、様々なステージが伝統的な祭日に行われたりします。そうしたなかで前回紹介した「山歌」も歌われたりします。たいていは集団の合唱(斉唱)形式になっているのですが、なかには舞台に上がるところから退場するまで掛け合いながら寸劇めいた演出をする人たちもいました。
3.演出つきで歌の掛け合いをしたグループ(2008年撮影)
今後貴州省の少数民族文化がどうなっていくのかはなんとも言えません。2006年に貴州省では「多彩貴州風」という大型「民族歌舞詩」が製作され、中国のみならず世界各地で上演を重ねています(2012年には唐津市でも上演されたようです)。この歌舞劇は貴州省の多彩な少数民族文化を歌と踊りで華やかに演出したものですが、そのなかにプイ族も含まれています。観光化する動きのなかで、この劇に見られるような、舞台映えするよう大胆に改変されたものも生み出されていくでしょう。その一方で、地元では地道な文化保護活動が続けられていくのではないでしょうか。私自身は2012年に短期訪問して以来まだ貴州に行けていませんが、なるべく近いうちにプイ族が今どうなっているのか見に行きたいと思っています。
京都大学 梶丸岳
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