・ペー族(白族)
ペー族は、中国の少数民族の一つです。現在の人口は約195万人(2010)、そのうち約100万人が雲南省の大理白族自治州に住んでいます。自称は「ぺーニ Berp nid」、「ペーヅ Berp zi」、「ペーホ Berp huo」です(ローマ字表記は後述のローマ字ペー文(大理方言)、以下同じ)。また歴史的には、漢語(中国語)で民家とも呼ばれていました。民家の名称は、1949年の中華人民共和国成立後にも使用されており、1956年、正式に「白族」の名称に改められました。
伝統的には農業や交易、大理盆地東側の洱海(じかい)という大きな湖(湖面面積、約246km2)の沿岸では漁業も営まれています。彼らの生活習慣は、周辺にすむ漢族とほぼ同じです。ペー族と漢族とを分ける大きな指標が言葉です。彼らはよく自分たちと他者とを、その人物の出身にかかわらず「スアペー Sua berp」(ペー語話者)か、「スアハー Sua hal」(漢語話者)かで、区別します。1980年代から大理地方を調査した横山廣子さんは、ペー族が漢族と自分たちとを区別する場合、「その人間が何語を話すかということによって象徴的に表現されてきた」とし、「旧社会での漢族と白族との境界は微妙なものであった」と指摘しています。
[かつての大理の中心、大理古城(2017年撮影)]
[大理周城のぺー族(2015年撮影)]
・ペー語(白語)
ペー族はペー語(白語)と呼ばれる独自の言語をもっています。ペー族の全人口195万人中、ペー語の話者人口は約130万人とされています。ペー語がどの言語に属しているかについては、いまだ確定していませんが、現状ではチベット・ビルマ語派に属する言語だというみかたが主流です。ペー語は日本語と同様に漢語の影響を強く受けており、日本語に似ている語彙もあります。例えば「ヒト」のことは「ニゲ nid gerf 」(人間)、カガミは「ガミgerz miz」(鏡面)と言います。またこれは偶然でしょうが、少し古い言い方で「オカネ」のことを「ジェニ jieif nid」(金銀)と言います。日本語の銭(ぜに)と発音が似ていて面白いですね。
また現在のペー語は大きく3つの方言区に分けられています。大理を中心とした大理方言(南部方言)、剣川を中心とした剣川方言(中部方言)、大理から西北の地域を中心とした碧江方言(怒江方言・北部方言)です。
・ペー文
ぺー族及びその先祖は、基本的には自分たちの文字を持たず、文章は漢語を用いていました。ただし一部で漢字を用いて、白語を書き写す方法をもっていました。この表記方法は「ペー文」(白文)と呼ばれています。ただしペー文は、ペー族の間に広く用いられている訳ではありません。現在でもペー族の民間芸能の曲本(台本)や、宗教書などの限られた用途に、特定の職業の人たちの間でわずかながら用いられています。この漢字によるペー文は、後に創られたローマ字ペー文と区別して、「老ペー文」・「方塊ペー文」あるいは「古ペー文」と呼ばれています。ペー族以外の中国西南地域にいる少数民族の中で侗(トン)族、哈尼(ハニ)族、壮(チワン)族、納西(ナシ)族なども、漢字を用いて自民族語を記すことがありました。
老ペー文の起源は、少なくとも8世紀後半から10世紀初頭にかけて雲南地方を中心に展開した南詔国時代にさかのぼることができます。ただし南詔国の支配層の言葉と現代ペー族の言葉との関連性も明らかにすることもできません。さらにその表記のあり方も、漢文中に自民族語の語彙が挿入されていただけのものだと考えられます。
明代(1368年〜1644年)以降、現在と同じような老ペー文が碑文などに刻まれるようになります。老ペー文には、日本語の訓読みや、当て字のような用法が見られます。ここで大理方言地区における民間芸能の1つである「大本曲」の歌詞から老ペー文をみていくことにしましょう。
處 周 之 怎 整 〓 鳴。(春の鳥が樹上で鳴く。(〓は口へんに上、以下同じ。))
cvl zou zix zef zet no merd
白 豆 花 開 滿 山 坡。(白ツツジの花が山の斜面で咲く。)
berp ded huof kel max svz box
一見、意味のない漢字の羅列のようですが、これが老ペー文です。老ペー文のなかには、ペー語が理解できないはずの日本人でも読める文字に出くわすことがあります。例えば一つ目の文章の「鳴」、二つ目の文章の「白」・「花」・「山」などです。これはペー語と日本語との語彙の中に、漢語の語彙が取り入れられているからです。すでに述べたように老ペー文は限られた職業、用途でのみ流通している表記方法で、統一もされていません。8つ(9つ)ある声調(音の上がり下がり)も表記することもできません。このため一般のペー族の人たちにも読めません。さらにいえば彼らは自分たちの言葉を書く方法があるということすら知りません。
[大本曲の曲本、「下線あり」がペー文、「下線部なし」は漢語(大本曲芸人の王祥氏所蔵)]
ペー族以外の中国少数民族と同様に、ペー族でもローマ字による民族文字が創られました。1958年には、ペー族文字方案(草案)が制定されました。そして文化大革命を経た後の1982年に修訂され、現在に至ります。このローマ字ペー文は新ペー文とも呼ばれます。ここで簡単な会話を新ぺー文(大理方言)でみていきましょう。ついでにその下に老ペー文でも書いてみます。
・Naot bei al na ? (ノ ベイ アナ:どこいくの?)
惱 杯 暗拉?
・Ngaot bei zid Zerd he(Dal lit).(ンゴ ベイ ヅ ズフ(ダリ):ちょっと、大理まで。)
我 杯 只 城 很(大 理)。
・Naot zex al na no?(ノ ヅ アナ ノ:あなたどこの人?)
惱 怎 暗拉 〓?
・ngaot zex ssif bet no.(ンゴ ヅ ズブ ノ:日本人です。)
我 怎 日 本 〓。
新ペー文は書き方が統一されています。老ペー文のように書き手によって表記が異なることはありません。またペー語の声調も母音の後ろにアルファベット( d, f, l, p, t, x, z )を付して(あるいは何も付さないで)、表すことができます。このため英語が打ち込めるワープロ機能だけで、そのまま打ち込むことができます。
ただ残念ながら現在に至っても、新ペー文もペー族全体に普及しているとは言い難いです。現在の主な用途としては、ぺー語研究やぺー語を普及させることを目的としたテレビ番組などの字幕などに用いられています。またローマ字ペー文の講習会なども開催されることがあり、普及を拡大させようという動きもあります。
東海大学 立石謙次
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