近年、中国では民族展示に関する博物館の新設、リニューアルが進んでいます。2003年、ユネスコ総会で「無形文化遺産の保護に関する条約」が採択されると、中国はいちはやく2004年に加盟しました。そして2011年6月1日に、「中華人民共和国非物質文化遺産法」を施行します。「非物質文化遺産」とは無形文化遺産のことです。これにより中国では、伝統的あるいは民間に伝わる文学、音楽、舞踏、美術、体育、医薬、民俗などを国家級無形文化遺産として指定し、全国の行政に登録を促してきました。
中国では、1976年に文化大革命が終結したのち、政府主導で経済の再開発がすすめられてきました。1980年代は、それまで革命の対象であった文化が、保護の対象になった時代です。それに連動しながら、経済的にも社会的にも周縁におかれていた少数民族の居住地域で、民族観光や文化観光の開発が推し進められてきます。各地域や民族のあいだで、売り出すべき「文化資源」や「エスニック・シンボル」が発掘されました。このような過程を経ながら、現在改めて文化の捉え方、見せ方が重要視されてきています。それは、社会主義的市場経済化が進み、都市的な生活を志向する人が増えるなか、失われつつある事象を、誰がどのように担っていくのか、という問題にもつながります。
モンが多く暮らす雲南省文山州でも、2014年末に文山州博物館が開館しました。文山州文山県には以前より、文化局に併設された博物館がありました。しかしふだんは開館しておらず、誰か知り合いを通じてしか観覧できない場所でした。つまり、外からの客人を案内する場所であって、広く一般公開されているわけではありませんでした。また、展示の内容や状態も、工夫されているとは言い難い状態でした。それに対し、新しく設立された文山州博物館は、無料で一般公開されており、散歩がてら気軽に訪れることのできる場所になっています。展示も、ジオラマ展示や映像展示などを取り入れ、視覚的にも充実した空間となっています。
(写真1)街の開発区に設立された文山州博物館
博物館には、文山州の歴史的なあゆみを紹介する「文山記憶」、文山州で多く出土する遺物、銅鼓を展示、紹介する「銅鼓故事」、そして少数民族文化を紹介する「多姿民族」の3つの常設展示室と、企画展示室があります。規模は大きくないものの歴史、考古、民族を扱う総合博物館です。「多姿民族」では文山州に居住する11の少数民族の文化が紹介されています。人口の多い順にチワン族から始まり、ミャオ族、ヤオ族と、それぞれの衣装のバリエーション、祭祀や日用品が展示されています。展示場のおわりには文山州の民族が描かれたパネルと一緒に写真撮影ができるコーナーが設けられています。
(写真2)ミャオ族の服飾展示
(写真3)文山州の少数民族が一堂に会するパネル
近隣から訪れる来館者は一様に、身近にあった日用品がうやうやしく展示されていることに驚くとともに、それらがすでに失われつつあることを認識します。博物館は、民族文化を仕立て上げ、人びとにその共有意識を持つよう促す仕掛けであるといえるでしょう。
文山州博物館が開館してちょうど1年後の2015年末に、文山州硯山県のある村に、私設のミャオ族文化伝承保護館がオープンしました。自身もモン(ミャオ族)であるHTさん(60歳、男性)が設立した、その名のとおりミャオ族文化の伝承保護を目的とした施設です。HTさんは農村の小学校教師を退職したのち、長年の夢であったという館を設立しました。
HTさんは農村出身で、子供のころは衣食住にも事欠くような生活だったと言います。国家の援助により、徐々にそれらが緩和され、コンクリート舗装の道も整備されました。しかし、発展とともに多くのものが失われていくことを感じたといいます。それらを残し次の世代に伝えるのが自分の使命だと語ります。
館は、四合院の形式で、生産生活用具展示室、紡織文化展示室、古籍祭祀文化展示室、原始居住体験室、レストランが配置されています。2階にはモン語教室や、コンサート、映像上映会をおこなうことができるステージ付きの多目的室もあります。
生産生活用具展示室には、木製や竹製の台所用品、織機などの染織用品などが、古籍祭祀文化展示室には、正月の遊びであるコマや羽子板、太鼓や芦笙の楽器、儀礼や占いに使用する用具、婚礼の道具などが展示されています。服飾のコーナーには、女性用衣装がサブ・グループごとに展示されています。また原始居住体験室は、かまどのある台所、若夫婦の寝室と老夫婦の寝室が再現されているジオラマ展示になっています。これらは農村でももうほとんどみることができないものばかりで、HTさんが20年かけて収集、保管してきたものです。特に衣服は、姉妹、祖母の祖母やその姉妹などの協力を得て収集したものだと言います。
(写真4)ミャオ族文化伝承保護館
興味深いのは、この館が誰に対し何を発信しているのかが多義的な点です。館にはHTさん夫妻以外のスタッフはおらず、ふだんは閉館しています。開館してから1年半で、3万人の来場者があったといいますが、そのほとんどは事前予約をした団体客です。これまで北京、台湾、香港、アメリカ、ラオス、ベトナム、カナダなどからの来客がありましたが、今のところ、ふらっと訪れた一般の人は観覧することができません。私も、2017年3月に、(この連載の第一回目の最後で紹介した)村のホストファミリーと訪れたときは、HTさんが不在だったこともあり、閉ざされた門を眺めるだけに終わってしまいました。8月に再び文山に行ったときに、街に住む別の友人(モン)がHTさんと親戚であることを偶然知り、友人に頼んで見学することができました。友人によると、私が日本人だったから見学できたのだ、とのことです。
館内の案内板には、中国語とモン語が併記されています。しかしそのモン語は、中国モン文字ではなくラオスモン文字(連載第一回目参照)です。HTさんは、中国モン文字だと、国外から来たモンが読めないでしょう、と言います。このことから、館が国外のモンをターゲットとして想定していることがうかがえます。実際に文山には、アメリカのモンが故地訪問に来ますし、ラオスやベトナムとのモンの往来も多くあります。そこには、国内外のモンが出会う場所、そして共有されるモン文化を、文山から創出、発信していくのだというアピールがあるのでしょう。
しかしさらに施設を増設する計画を持っているというHTさんは、こうも語ります。今は文山州に暮らすモンの7つのサブ・グループのものしか展示していないが、中国には、貴州省や湖南省にもミャオ族がいて、全部で30以上のサブ・グループがある。いずれそれらのものも展示したいのだ、と。中国のミャオ族は、人口1000万人近くおり、複数省に広く居住していますが、少しずつ異なる自称、言語、生活習慣の人びとから構成されているため、それを一律に展示するのは簡単なことではないと思われます。
館は、一方では国境を越えて居住するモンに対し結束や連帯感を促すような態度もみせつつ、他方では、中国内での評価や補助金を得るために、国内の「ミャオ族文化」を包括的に集積、発信する場であることも目指しています。モンであることと、ミャオ族であることを使い分けるHTさんの試みは、国家をもたないモンと、国家制度の枠組みのなかで生きるミャオ族の相反する立場を表し、それをどのように調整するのかの試行錯誤であるようにもみえます。
HTさんは、日本にこの館のことを紹介してほしい、多くの日本人にここに来てほしい、と私に言いました。博物館設立によって、一般のモンの人のなかにも、失われつつある文化を自覚する人が増えるなか、HTさんが、モン文化をどのように引き受けていくのか、そしてそれを国外のモン、中国内の人びと、日本人のような外部者にどうみせようというのか。そこに、国家制度のはざまに生きるモンの姿が映し出されていく気がします。
南山大学 宮脇千絵
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