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【ワ語】第2回~ワ族とその歴史~

2017-01-27

中国は56の民族からなる多民族国家です。このうち人口の95%を占める漢族を除く、残りのわずか5%の人びとが「少数民族」と呼ばれます。雲南省はこの少数民族がもっとも多く暮らす省の一つです。言語系統の観点からは、雲南省の少数民族をチベット・ビルマ系、タイ系、モン・クメール系、ミャオ・ヤオ系という異なるグループに分けることができます。モン・クメール系に属するワ族は、同系のプラン(布朗)族、ドゥアン(徳昴)とともに、省西部から西南部にかけての先住民と推定されています。ワ族の歴史については拙著(『スガンリの記憶:中国雲南省ワ族の口頭伝承』雄山閣)で示したように、プラン族、ドゥアン族との関係において理解するのがわかりやすいと思います。そこで以下では3民族を「ワ系民族」と総称することにします。

 

ワ系民族の歴史

無文字社会にあったワ族は、自らの歴史を文書として残すことはありませんでした。その歴史の一部は、漢族をはじめとする周辺民族の記述のなかにみることができます。晋代の史料『華陽国志』をみると、湖南省から雲南省西部地方にかけて「閩濮(ビンボク)」「鳩僚(キュウリョウ)」などという部族が分布したとの記録があります。このうちの「濮」という部族、さらに唐代の雲南地方誌『蛮書』で「望蛮(ボウバン)」などとして言及される部族がワ系民族の祖とみられています。その後、明代の史料『百夷伝』、『西南夷風土記』では、「古刺(クラ)」「哈刺(ハラ)」「哈杜(ハド)」と「蒲蛮(プマン)」「蒲人」という二つのグループとして区別されるようになります。前者がワ族のこと、後者がドゥアン族とプラン族のことを指すものと推定されます。

 

ドゥアン族とプラン族をワ族から切り離して考える最大の理由は、タイ系民族との関係性にあります。1253年のモンゴル軍の攻撃による大理国の崩壊を機に、タイ系民族の勢力が増大に転じました。タイ系民族の一部であるタイヌー支系(徳宏タイ族の祖先)はサルウィン川をわたり、その西方に盆地連合王国ムンマーオを建てました。これに従ったのがドゥアン族の祖とみられます。一方、タイルー支系(西双版納タイ族の祖先)は、メコン川を下り、雲南省南部に盆地連合王国シプソンパンナーを建てました。これに従ったのがプラン族の祖です。そのどちらにも従わず、サルウィン川とメコン川の間の山岳部へ分布を広げたのがワ族の祖です。このように、13 世紀のタイ系民族の伸張に直接的・間接的な影響を受け、ドゥアン族・プラン族の祖と、ワ族の祖の分岐が徐々に明確になったものと推定されます。

 

今日のドゥアン族とプラン族の社会や文化からは、宗教信仰(上座部仏教)をはじめ、それぞれのタイ系民族に対する親和性の高さがうかがえます。すると、ワ族はタイ系民族の社会や文化と距離をおく人びと定義することができるでしょうか。

 

写真2-1

【写真2-1:漢族の中のワ族イメージ】

 

ワ族の分岐

タイ系民族は、ワ族の隣人として、また直接の為政者としてもっとも長くワ族と関わりをもってきた民族集団です。ワ族と居住地を接するタイヌー支系は、ワ族にカーラー/ワーという区分を設けています。ミャンマーにおいてワ族を取り囲むように分布するシャン族もやはりカーラー/ワーハーイという区別をおこなっています。カーとは「臣下」の意味であり、ハーイとは「野蛮な」の意味です。こうした呼称から、臣下としての集団(ラー)とそのほかの化外の集団(ワー)という認識的分類が存在すると考えられます。

 

19 世紀後半に雲南省西部地方を踏査したデービスは、その著書(邦訳『雲南:インドと揚子江流域の環』)のなかで、タイ系民族が今日のワ族に相当する人びとをワー/ラー/タイロイに分類していたと記録しています。デービスは、その分類の指標を文明の段階であるととらえ、ワーを「首狩り族や現在でも大変文化が遅れ、非友好的な」集団、ラーを「仏教徒ではないが文化も開け、友好的な」集団、タイロイを「山中に住んでいるが、仏教に帰依した」集団であるとしました。タイロイとはタイ系言語で「山住みのタイ族」の意味、すなわちタイ族の一部という認識を表わします。

 

このように、タイ系民族は今日のワ族に相当する人びとについても、臣下の集団(ラー)、化外の集団(ワー)、自民族の一部(タイロイ)と認識していたことがうかがえます。こうしたワ族内部の分岐は、近年の研究によって少しずつ明らかになってきています。

 

写真2-2

【写真2-2:人頭を供えておく竹カゴ(1950年代、雲南省西盟県)】

 

タイ王国のラワ族との関係

中国国外に目を向けると、ワ系民族とあきらかな関係をもつ人びとがチェントゥン盆地(ミャンマー連邦)やチェンマイ盆地(タイ王国)などにも居住しています。中国の学界には、今日の東南アジア大陸部に分布するワ系民族のすべてが、上述のタイ系民族の伸張と関係するかたちで、中国から順次南下していったとみなす向きがあります。しかし、ワ系民族がすべて現在の中国領内に故地をもつとする確証は得られていません。これらの人々はむしろ、上述のタイ系民族の膨張よりもずっと早い段階から分布していた形跡があります。例えば、『チェンマイ年代記』には、13 世紀末から20世紀前期まで存続したタイ族のラーンナー王国のマンラーイ王がワ系民族の一つ、ラワ族であったとの記載があるそうです。年代記の記述が史実かどうかはさておき、少なくともそのような歴史認識がはたらいていたことは間違いありません。

 

近年の言語学的考証によると、カンボジアなどに居住していたモン・クメール系民族の一部がメコン川に沿って北上し、雲南省西南部に至った可能性が指摘されています。そうであれば、13世紀のタイ族の膨張にともなう分化は、こののちにおこった新しい動態であったといえます。このように、ワ系民族はそれぞれの国で少数民族という位置づけにはありますが、当地の歴史動態に深く関与した重要な存在であったということができます。

 

日本医療大学 山田敦士

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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