彝語とは?
「イゴ」と聞いて、ほとんどの人が、「囲碁」あるいは「以後」という漢字をイメージしてしまうでしょう。彝語という漢字が真っ先に頭に浮かぶ人は日本に5人もいるでしょうか。というほど彝語は日本ではなじみのない言語かと思います。彝語はロロ語とも呼ばれます。日本語では彝語という表記をせず、ロロ語という表記を長く使ってきたので、世界の言語に詳しい人なら、このロロ語という名前は知っている人もいるかと思います。では彝語を使っている人々は少ないのでしょうか。日本では知られていないこの彝語も、実は使用している人口は数百万人もいます。使っているのは中国西南地方に居住する「少数民族」である彝族と呼ばれる人たちです。彝族の人口は中国国内だけで約871万人(2010年)ですが、全ての人が彝語を使えるわけではありません。漢民族文化の影響や現代中国の公用語である漢語(中国語)教育によって、彝語を話せない彝族の人々も年々増加しています。それでもいまだ大多数の彝族は彝語を母語とする人々です。およそ9割の彝族の人々が彝語を話したとしても800万人弱の言語人口を有します。この数はチベット語、モンゴル語、ヘブライ語、デンマーク語、ロマ語、スワヒリ語などよりも多いのです。彝族の人たちが住んでいるのは先ほど述べたように中国西南地方およびその周辺です。すなわち雲南省、四川省、貴州省と広西チワン族自治区の一部地域とラオス、ベトナムの一部地域に居住しています。
彝族の若い女性の民族衣装(2009年、四川省美姑県にて)
彝語は前回連載されたナシ語と同じくシナ=チベット語族のチベット=ビルマ諸語のグループに分類されます。言語的にはナシ語、チベット語、ビルマ語に近い系統のことばです。ただナシ語より言語人口が多いため、その方言も多く、しかも方言間では通じないことも少なくありません。そのため、居住地域の異なる彝族同士では漢語(中国語)が共通言語となることも少なくありません。方言は北部方言(四川省西南部)、東部方言(貴州省西部から雲南省東部)、東南部方言(雲南省昆明市付近)、西部方言(雲南省西部)、中部方言(雲南省中西部)、南部方言(雲南省南部)の6方言に分類されます。私が学んだのは北部方言、すなわち四川省西南部の涼山地方で話されている方言であり、ここで取り上げる彝語、彝文字もそのほとんどがこの北部方言のものです。
独特の彝文字はこちらから
彝文字
さて彝語は彝文字にによって表記されます。この彝文字ですが、漢字からの借用もいくつかありますが、基本的に独自に発達した文字です。世界中のさまざまな文字の多くは漢字、アルファベット、ブラフミー文字のいずれかの系統から発展したものが多いのですが、彝文字はどの系統に含まれない文字です。彝文字はもともとは象形からはじまった文字でした。これは漢字の成立に似ています。彝文字の象形文字が生まれた後に仮借文字も使われるようになりました。すなわち彝文字は表意文字として生まれたものでした。また先ほど述べたように漢字からの借用文字も後に現れました。現在は表音文字化が進み、1文字1音を表記するようになりましたが、古くは1文字2音を表わすこともあったようです。では彝文字の総数はどのくらいなのでしょうか。その総数は8000字以上もあるとされます。現在、四川省ではこれを整理して、規範文字化(標準文字化)を進めました。そのため北部方言の地域である四川省とその周辺ではこの規範文字化された819文字が使用されています。先ほど本文の中で出てきた彝文字はすべてこの規範文字化された彝文字です。これはパソコンのフォントとしても採用されており、ウィンドウズ8以降はIMEもパソコンに標準搭載されています。ですから、実は読者のみなさんも気軽にパソコンで彝文字が打てるのです。ちなみに入力はすべてアルファベットの発音表記で行ないます。
ではこの彝文字がいつぐらいから使われるようなったのかというと、実は不明なのです。7000年前成立説、甲骨文字と関わりがあるとする説、漢代成立説、唐代成立説、明代成立説など様々な説があります。漢字との併記により、記された時代が分かる最も古い彝文字は明代の「貴州水西安氏成化鐘銘文」(1485年)です。この銘文から少なくとも明代までに彝文字が一つの文字の体系として成立していたことを知ることができます。唐代以前の漢文の文献には「蝌蚪文(かとうぶん)」、「爨文(さんぶん)」、「韙書(いしょ)」など、彝文字と思われる漢字でない文字の紹介をしてる内容が散見できるのですが、実際の文字がこれらの文献の中に書かれていないので、それが彝文字に相当するのか分かりません。
「貴州水西安氏成化鐘銘文」(貴州省畢節地区民委等編訳『彝文金石図録(一)』 1989年 四川民族出版社 より)
彝族は様々なものに霊的な存在を認める自然崇拝と父系の祖先を崇拝する宗教信仰を持っています。この宗教信仰の儀礼を取り仕切るのが彝族のなかで知識人とされる「ピモ」です。彼らは祭司として儀礼を司ります。この儀礼のなかで読み上げられる宗教経典が彝文字で書かれています。こうした経典は各地のピモが書き記し、さらに書き写され、広く伝わっていきました。このようなことから彝文字は歴史的に一般の人々には普及せず、ほぼピモが独占していました。現在は小学校などで彝文字を使った教育も進められていますが、彝族の一般の人々の間で彝文字を読み書きすることはとても少ないのです。
ピモが使用している彝文字の経典(2009年、四川省昭覚県にて)
彝語の方言差が大きいように、彝文字の地域差も大きく、彝文字の専門家もすべての地域の彝文字に精通している人はいません。もちろん基本的な語彙の文字などは地域を超えて使われます。彝族が居住するすべての地域における彝文字を整理統合して規範文字化(標準文字化)する試みは何度かなされているようですが、未だ成功していません。
現在、彝文字による看板、出版物、教科書、新聞などもありますが、十分に普及や活用がなされているとは言い難い状況です。しかし、彝文字は彝族という民族のアイデンティティを表わすシンボル的な存在であります。また祭司であるピモの間では宗教経典の文字として未だに広く使われ続けています。そのため、彝文字は消滅することもなく、今後も使われ続けて行くでしょう。
彝文字と漢字併記の看板(2009年、四川省西昌市にて)
小学校「自然」彝文字教科書(四川省教育庁・涼山州教育局編訳 2000年 四川民族出版社)より
日本大学 清水 享
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読みました。
教授職に相応しいコラムですね。
イゴよろしくお願いします。