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【彝語】第3回~彝族文化さまざま~

2016-06-27

「ピモ」・「スニ」

彝族には「ピモ」と呼ばれる宗教職能者がいます。ピモは彝族社会では儀礼を支配する祭司であり、またさまざまな知識を身に着けている知識人でもあります。彼らは幼いころから彝文字で書かれた教典を読み、これに精通し、師匠のピモから儀礼の方法を学び、10年以上の修行をして一人前のピモとなります。そしてピモは祖先祭祀儀礼から病気治療儀礼までさまざまかつ複雑な儀礼を取り仕切ります。ピモは基本的には男性であり、いくつかの流派があります。雲南省、貴州省などの彝族地域では、現在このピモは減少の一途をたどっています。その一方で四川省涼山地方では、現在も多数のピモが活躍しています。ピモの数が最も多いのが北部の美姑県であり、現在でもその数は8000人以上いるであろうと言われています。これはなんと美姑県総人口約20万人の4%を占めるということになります。このように涼山地方ではとても多くのピモが伝統的な信仰を保持する活動を続けています。山深いこうした涼山地方でも現代化や商業化の波はやって来ており、有能なピモは携帯電話で儀礼の予約を受け付け、広範囲の地域を飛び回り、時には成都や昆明など大都市に住む彝族のために出張することもあるようです。また街角に露店を出して、卵を使った占いや簡単な儀礼を行なうコンビニエンスなピモも現れて来ています。

 

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儀礼を行なうピモ(2009年、四川省雷波県にて)

 

ピモの他にスニというシャーマン(巫師)もいます。スニはピモと異なり教典を読むことはできません。太鼓や鈴を叩き鳴らし、トランス状態で「ハサ」という神を憑依させ、そのお告げを人々に伝えます。彼らの多くは大病や精神病を経ることにより、スニとなって活動をします。そのためピモのように師匠について修行はしません。ピモと同じように最近は街角に露店を出して営業しているスニも多く見かけます。

 

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トランス状態になるスニ(2009年、四川省昭覚県にて)

 

祖先崇拝・「ニィツハモ」・「ジル」

彝族の人々の信仰の中心には素朴な祖先崇拝があります。彝族の祖先は北方から「ロジ(洛尼)山(雲南省昭通市あたりにあるとされる山)」までやって来て、その後、雲南、四川、貴州の各地に散って行ったとされます。そのため、彝族は人が亡くなると、その魂は祖先が移動して来た経路を戻り、北方にあるとされる祖先の地に帰ると考えられています。人が亡くなって葬礼が行われると、ピモは「指路経」という教典を読み上げ、死者の魂が道に迷うことなく祖先の地にたどり着くよう導きます。死者の魂は祖先の地に帰るだけでなく、葬礼後に作る「マドゥ」という霊牌にも宿ります。このマドゥは家のなかの高いところに安置します。葬礼の数年後に祖霊を祖神へと昇華する「ニムツォピ」という儀礼を経て、マドゥは家支(父系氏族)で共有する山中の洞穴に安置されます。ちなみに彝族の一般的な葬法は火葬であり、野外で荼毘に付されます。

「ニィツハモ」は彝族にとって最も恐れられている存在です。超自然的な存在であるニィツハモは漢語では「鬼(き)」と訳されます。このニィツハモが人に憑りつき、病気になったり、死を招いたりすると考えられています。例えばサル由来のニィツハモは肺病をもたらすとされます。このニィツハモは実体としてのサルでもあり、超自然的な存在としてのサルのバケモノでもあり、その境界は判然としていないのですが、このニィツハモが憑りつくと肺に関わる病気となるとされるのです。こうしたニィツハモが人々に近づかないように、あるいは払い除けるために、ピモはさまざまな儀礼を行ないます。

 

彝族にはアニミズム的な信仰もあり、東アジアの他の民族同様に石、山、火、日、月、星などのさまざまな自然物への畏敬の念を持っています。また虎などの動物、竹や「馬纓花(ばえいか、シャクナゲの一種)」などの植物への信仰や崇拝もあります。彝族の自称である「ロロ」は虎を意味するとされ、彝族にとって虎が特別な存在であったことを示しています。先ほど述べた霊牌「マドゥ」は竹で作るなど、竹も彝族の人々と密接に結びついていました。雲南省楚雄の彝族にとって馬纓花(シャクナゲの一種)は創世神話のなかで彝族の祖先と深くつながった花として語られています。

 

涼山地方では、この他に「ジル」と呼ばれる霊物信仰があります。それぞれが属する家支(父系氏族)にはそれぞれ異なるジルがあり、それは蛇だったり、ほら貝の杯だったり、古い犂先だったり、さまざまです。そのため「他家の怪物、我が家のジル」などとも言われます。こうしたジルは2種類に分けられます。金銀の装飾品のような貴重な物品を「スガジル」と呼び、これを丁寧に扱い、祈りをささげると五穀豊穣、子孫繁栄すると考えられています。もう一つは「ジシジル」と呼ばれ、これは戦いに勝つジルであり、目の見えない雌馬、鎧兜の模造品、ヤクの尾、霧などさまざまであり、これらに祈りをささげると他の家支(父系氏族)との戦いに勝つことができると考えられています。いずれのジルも粗末に扱うと災難や不幸に見舞われるとされます。

 

たいまつ祭りと新年

彝族の年中行事のなかで重要な行事は二つあります。一つはたいまつ祭りです。これは旧暦の6月24日前後に行われます。そしてもう一つは彝族の新年です。これは11月ごろ行なわれます。

たいまつ祭りは彝族以外に白族、ナシ族、リス族、ラフ族などでも行われます。旧暦の6月24日ごろは、ちょうどこれから夏を迎える時期であるため、豊作祈願や邪気払いを祈願して祭りを行なうのです。特にたいまつに火を灯すのには作物に虫が付かないように願う「虫やらい」の意味があります。日が暮れる時分に家々でたいまつに火を灯します。そしてたいまつを持った人々は村のなかを練り歩き、村のはずれから田畑や山のふもとまで回ります。昼間は盛装した若者が歌い踊り、闘牛、闘羊、闘鶏、相撲、競馬、美人コンテスト、歌垣など多彩な活動が行われます。

 

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たいまつ祭りの闘牛(2000年、四川省布拖県にて)

 

彝族の新年は「クシ」と言います。11月に行われるのですが、これはまさに収穫の時期であり、彝族は1年の収穫を得たこの時期に新年を迎えます。この彝族の新年は3日間祝います。1日目の朝に家の前で火を起こし、祖先の霊を迎えます。それから豚をさばいて調理し、囲炉裏の上方に安置してある祖先の霊牌に供えます。それから家族全員で食事をします。夜も豚の前脚、肝とソバ餅を再び祖先の霊牌に供え、新年の祖先祭祀儀礼を行ないます。2日目は若い男女が盛装し、月琴や胡弓、口琴などの楽器に合わせ、歌い踊ります。またブランコ乗り、競馬、相撲、蹲踞(そんきょ)の姿勢で取る珍しい「しゃがみ相撲」などの娯楽活動も行います。各家への新年のあいさつもこの日に行ない、あいさつに来た人々にはおもてなしをします。3日目に人々は早起きをして、祖先の霊を送り出し、新年の行事は明けていきます。

このような年中行事を行なう彝族には、一部の地域で「十月太陽暦」と呼ばれる一風変わった暦法があります。これは1年を10か月に分け、1か月を36日で計算し、残りの5~6日を新年の日にちとするもので、世界的にもとても珍しい暦法です。

 

民族衣装、髪型、装飾品

彝族の民族衣装は地域によりそのスタイルやデザインが大きく異なります。雲南省の彝族女性は彩色豊かな明るい色を基調とした民族衣装を着ています。四川省涼山地方では、黒を基調とした民族衣装が好まれます。デザインやスタイルは異なりますが、刺繍を施すことはどの地域でも行われ、とても凝っていて非常に美しいものもたくさん見受けられます。ただ最近は既製の刺繍モールを縫い付けるだけのものも増えており、少々残念です。

雲南省の彝族男性は民族衣装を着ていることは少ないのですが、四川省涼山地方の彝族男性は今でも民族衣装を着ています。この涼山地方では大きく分けて三種類の民族衣装があります。美姑県など北部は「ジノー」と呼ばれる地域で、男性は袴のような幅広のズボンを穿きます。布拖県など南部は「ソンディ」と呼ばれる地域で、男性はスリムなズボンを穿きます。昭覚や西昌など中部は「シェンジャ」と呼ばれる地域で、男性は太くも細くもないズボンを穿きます。涼山地方の男性は頭頂部だけ残し、それ以外は剃り上げる、いわゆる「天菩薩」と呼ばれる髪型が伝統的な髪型です。そしてその上に黒いターバンを巻きます。ターバンには「英雄髻」と呼ばれるつの状の飾りを付けることあります。現在でも年配の男性はこのスタイルの人が少なくありません。また左耳にピアスをしている男性も多く見かけます。このピアスには巨大な瑪瑙、サンゴ、トルコ石の装飾をつけたものもあります。

 

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「英雄髻」(エイユウケツ)のあるターバンを巻く「ジノー」地域の男性(2009年、四川省、四川省美姑県にて)

 

涼山地方の女性の民族衣装は襞の多いロングのプリーツスカートが特徴的です。また頭飾りは黒の角隠しのような形のものや座布団のような形のものなど、形状はさまざまです。この頭飾りを三つ編みの髪で巻き込み、固定します。銀の装飾品も好まれ、ピアスや指輪もよく身に着けています。

羊毛を編み込んだマントである「ヴァラ」と羊毛のフェルトのマントである「ジェシ」は涼山地方の彝族は男女問わず、とてもよく身に着けています。昔はこれさえあれば、どんなところでも寒さをしのげたので、マントにくるまったまま野営することもあったそうです。

 

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スカートの生地を織る女性と「ジェシ」というマントを羽織る女性(2009年、四川省布拖県にて)

 

飲食文化

彝族の人たちの食事も地域によって大きく異なります。雲南省などの地域では水田稲作をしていることが多いので、主食は米です。四川省涼山地方など山岳地帯は稲作に適さない土地も多く、そのためソバ、燕麦、ジャガイモ、トウモロコシなどを栽培し、これらを主食としています。最も古くから栽培されているのがソバです。彝族が栽培するのは「苦ソバ」すなわちダッタンソバとも呼ばれるものです。これは日本などで栽培される「甘ソバ」、すなわち普通のソバと異なります。苦ソバは甘ソバよりも地味の悪い場所でもよく育ちます。しかし甘ソバよりも少々苦みが強く、味はいくらか落ちます。彝族はソバを粉末にして水を加え、こねてから、囲炉裏で焼いたり、鍋ですいとんにしたりして食べます。西昌などの都市部では最近、このソバを原料にしたパンケーキを作ることもあるようです。

新年やたいまつ祭りなどの行事のある時や、葬式や結婚式など特別なことがあった時に肉を食べます。牛、豚、羊、ヤギ、鶏の肉をぶつ切りにして、塩茹でにします。茹で上がった肉は木製の漆器やざるに盛り、各人がこれを手づかみでかぶりつきます。この肉料理は漢語で「砣砣肉(トォトォロウ)」と呼ばれます。最近の肉の味付けでは塩以外に、唐辛子や山椒を使うこともあります。彝族は本来箸を使いません。先ほど述べたソバ餅も手づかみで食べます。

 

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現代風にアレンジした「砣砣肉(トォトォロウ)」(2007年、四川省西昌市にて)

 

野菜は大根などを栽培します。野菜は漬物にしたり、スープに入れたりして食べます。スープは肉の出汁が効いていてとてもおいしく、漆塗りの木製の杓子を使って飲みます。

彝族はお酒が大好きです。「飲みたければ飲め、飲みたくとも飲め」とことわざがあるほどです。現在最もよく飲まれているのはビールか「白酒(バイジュウ)」です。現地の白酒(バイジュウ)はソバや燕麦から作ります。彝族の伝統的なお酒では燕麦などから作る「ジジ」があります。これは「水の酒」という意味です。ジジは醸造酒であり、かすかな酸味があります。アルコール度数はビールと同じぐらいで、高くありません。

彝族の食器には漆器がよく使われます。漆器製作は彝族の伝統工芸であり、かなり早い時期から現在まで作られ続けています。料理の盛り付けには高台のついた漆器を使います。また牛の皮に漆を塗った椀などは他では見ることができないとても珍しい漆器です。お酒は特殊な仕掛けのある酒器や鷹の爪がついた杯を使って飲んでいました。

 

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牛の角を使った特殊な酒器(左)、牛の皮を使った漆塗りの椀(右)(筆者所有)

 

住居

土壁に板葺き屋根が彝族の伝統的な住居でしたが、現在は瓦葺き屋根が増えています。軒下には木製の白木の装飾が付いていることが多く、これが彝族の家屋の特徴としてよく知られています。土壁には窓がないため、屋内は昼間でも暗い状態です。家の内部は土間であり、入り口の戸からやや右手に囲炉裏があります。囲炉裏は火がある場所なので、とても神聖なところです。そのため囲炉裏をまたぐことはタブーとされます。家の主人は入り口から向かって右手の囲炉裏の向こう側に座ります。客人はそれに対して左手に座ります。大きな家では馬、牛、羊などの家畜も屋内で飼うこともあるようです。

 

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彝族の一般的な家屋(2008年、四川省美姑県にて)

 

彝族の家は財産として息子に相続されますが、息子のうち、年長の兄弟は早くに家を出て、新しい家を建てます。年少の兄弟、すなわち末子が親の家を相続します、これは「末子相続」といい、彝族以外でも広く見られる習慣です。相続をした子は新しい家を建てる必要はなく、財産を受け継ぐ代わりに、親の世話もするという形態です。

 

彝族の家屋も時代にともない変化しました。今から60年ぐらい前、彝族の有力家支(父系氏族)は他の家支(父系氏族)と対立して戦いとなった時に備えて物見やぐらもあるような砦のような家を作ったこともありした。現在の彝族地域では現代的な家の建築も広まっていて、彝族の特徴を持たない家屋も増えています。

 

日本大学 清水 享

 

*写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします。

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